季刊 ジャズ批評 No84

トモエ静嶺と白桃房リヨン紀行

−アルフィのランチ−

「トモエ静嶺」

舞踏と即興音楽

パリより南に四百キロ、ソーヌとローヌという二筋の川が貫流するリヨンは食の街として知られており、野菜、魚介類は豊富で、海外滞在中は日本食レストランに日参する私も、今回はその必要をまぬがれた。耳をも凍る寒さと脅かされてきたが、今年は暖冬とかで喘息・潰瘍という持病とも、毎度の公演のことながらどうにか折り合いがつけられた。

九〇年以来再々演のオペラ・ド・リヨン「蝶々夫人」(吉田喜重氏演出)の八回の公演は開演前にソールド・アウトであり、この街のクラシック音楽に対する親しみの深さを感じさせた。

私たち舞踏団はそのオペラの客演と同オペラ座の小劇場にあたる<アンフィ・シアター>(円形劇場:殆どがクラシック公演で占められているが、シャーリー・ホーンの名もみえる)で、自らの四回の公演のため一月初旬より約一ヶ月間リヨンに滞在することになった。リヨンに行くにあたり、本誌・岡島氏よりリヨン在住のジャズ・カンパニー、アルフィ(ARFI/想像的民族芸能探求協会)のCD及び資料の収集等依頼を受け、また機会があればフランスのジャズとのコラボレーションを考えていた私は、早速リヨンのアルフィ事務所に自らの公演ヴィデオ等資料を送ったところ、彼らからも資料を送られた。

リヨン滞在中、感慨深い思い出となった彼らとの出逢いを語るにあたり、初めに、本誌で紹介されている事象とは重複しない程度にアルフィの外観について書いておく。

十七人のミュージシャンを中核とした十四人のアソシエイト・アーティスト(音楽家、手品師、役者、ヴィジュアル・アーティスト、料理人)、九人のテクニック/マネージメント・スタッフからなる彼らの組織は、その中で十四種のユニットと五種のイヴェントを組んでいる。彼らからいただいたCD,テープを聴く限り、それらのグループの個性はジャズを公約数にしているとしかその共通項は見出せない。また、子供劇のための音楽も手がけており、86年ラ・キャレラリー劇団として、アルフィ創始メンバーのモーリス・メルル、クリスチャン・ロレは来日している。

他ジャンルとの交流も活動の主幹をなすようで、無声映画、たとえば「戦艦ポチョムキン」とのコラボレーションはオデッサ階段での公演も含め87年以来約百回行っている。九二年ウィーンでのジャズ・フェスティヴァルでは城壁での曲芸師・道化師たちや花火師たちとのカーニヴァルを思わせるようなコラボレーション。82年以来ヨーロッパで行われている「アルフィの夜」では足長(竹馬)おじさんの案内係りにフォークリフト上のピアノ演奏。手玉を操る手品師と手足を紐で結び付けられたトランペッターの人間操り人形。コックによるツナとシャケの料理。紙洞窟の中での演奏。ペーパー・アーティストによる即興創作の衣裳を着ながらの演奏と、おもちゃ箱をひっくり返したような道化的幻想空間を作り出している。視覚・聴覚を錯綜させた観客との詩的コミュニケートの方法は、そのまま彼らの音楽スタイルの基調をなしているように思われる。コンポジションは空間大に解体され、即興は圧縮された時間の中に吸引される。空間の速度と時間の深さを別にすれば日本的なるものと一脈通ずるものが感じられる。身体=音(視覚=聴覚)は元もと同一地平で生成されてきたものだが、日本的なるものが内遡し、神的なものとの血脈を希求する素因を持つ(異論はあろうが)のに対し、彼らのそれは、絶望から希望という領域を孕むある世界の中で、自我と他我との絶妙なるアンサンブル(融和=相反)を形成したる宿命を感じさせる。曲芸ともいえるフォルムであろう。ソウルという根幹を外せないアメリカン・ジャズのあり方とは、その位相は違ってくる。

私共も音楽家・美術家・照明家・とのコラボレートは結成以来し続けているが、これだけコンセプチュアルに、また組織的に行っているカンパニーは類をみないのではないか。私共の場合の実験(あくまで帰納法により己の道を模索)と彼らの了解という創作に対するアプローチの違いより生じることだろう。

彼らと初めて逢ったのは「蝶々夫人」のゲネプロが終わってからのオペラ・ハウス前のレストランである。招待者の人数制限上、ジャン・メリュー(tp)夫妻、モーリス・メルル(sax)、ギィ・ヴィラール(sax)、マネージャーのシャルル・ジル、他にリヨン在住のトランペッター沖至氏。音楽家はいずれも五十歳前後の穏やかなまた快活な紳士で、私が見せたジャズ批評誌の紹介記事に「どれどれ、ホントだ、写ってる。みんな若いゾ」と、すぐに打ちとけた雰囲気にビールを交わした。

コラボレーションの方法を尋ねると「興味あることを一緒に創って何も決めない」、ノー・コンセプト、共に歩く、尊敬、パティキュラーとの語彙が象徴するように具体的な方法論より人間本意の姿勢が鑑みられるが、それらは「皆、自分の中身をキープしているから」と、主客の西洋的把持を感じさせた。私も同じ質問を受けて「人間が共振すれば、すぐ出来ます」との答えに、「(私たちの舞踏は)あまり動いていないけど、内側では沢山沢山です。動きで合わせるより、その方が音と合う」とジャン・メリュー氏。「舞踏も動きで合わせると遅れてしまいます。音と空間を共有している時、すでに始まっています」との私の発言に、リヨン近くの小さなシアターで交歓出来れば・・・ライヴをということになった。日本のジャズ・ファンへのメッセージは?「アルフィのゴールは自分たちの言語体系をつくりたい」「キープ・ユアセルフ・トゥゲザー」

それから数日後に行われた私共のアンフィ・シアターでの公演に、音楽家(夫人同伴も含む)、スタッフの計二十七名のアルフィ関係者が観に来てくれた。場から立ち上げなくては気が済まない創作者としての私の気質上、いつも通り、余裕を夷らげての作品であったが、四〜五回続くカーテンコールの中、一回性の舞台の共有の仕方をリヨンの観客も心得たものだと思った。

さて、最終日に観に来られた沖至氏は片手にトランペット・ケースを持っていた。終わってから友達のライヴに行こうという。もう夜十二時を回っている。メンバー全員連れてゆかれたジャズ・クラブは石造りのアパート街の地下に居を構える<ホット・クラブ・ド・リヨン>。オーナーのおかみさんは今回のオペラを二回観たとのことで、心地よく私たちを招待してくれた。出演は<キャプテン・フラ・ツプスカット>という御当地のディキシー・バンド。五十人ほどで陽気に膨れ上がる場内から、途中、沖氏も出演し、おどけ乗るトロンボーン奏者らとスタンダードを連発した。沖氏が言うには「ニューオリンズの黒人はリヨン出身」だそうだが、彼らのジャズに対するアイデンティティーの有り様を表明しているようだ。後日、沖氏から昼食に招待されたメンバーは彼がおろした刺身や手作りのミソ仕込みカレーを御相伴にあずかった。リヨンでは金管の土壌(アンティーク屋)があるそうで、自宅には四百本ほどの金管コレクションがあるとか。「こっちの人は日本よりぜんぜんオープン。クラシックとジャズも出来る・・・誰々風と追随しない」「ドレミが出来るようになったらすぐ作曲するという風土」

アルフィとのセッションはメンバーの車に分乗して案内された<シアトル・ナショナル・ポピュレール>というリヨン市街の住宅地に佇むシアターの一室(20平米のスタジオ)で行われた。音楽家はジャン・メリュー(tp)、モーリス・メルル(sax)、ジャン・ボルカト(b)、ギィ・ヴィラール(sax)、グザヴィエ・ガルシア(synth)の五名(このメンバーでは初顔合わせだそうだ)。

リヨン滞在中に開催した舞踏ワークショップにも参加されたジャン・メリューより提示されたプログラムは、

(1) ボルカト(b) ・・・・即興的ムード

(2) ボルカト(b) + メルル(ss) + メリュー(tp) ・・・・静、長い旋律

(3) ボルカト(b) + メルル(as) ・・・・リズミック、フリージャズ

(4) 全員・・・・虫喰い

(5) メリュー(tp) + ガルシア(synth) + ヴィラール(ts) ・・・・呼吸、風、嵐、波

(6) 全員・・・・強いフリージャズ

(7) ガルシア(synth) ・・・・○ −ディスカッション−

(8) 全員・・・・メロディアスな旋律を含む即興

と、全体がそれぞれテーマを持つ八つのショート・ピースからなり、ポスト・フリーのスコアーを思わせるが、一つの流れを持つ構成になっている。虫喰い(身体、観念に虫を這わせる)、呼吸・風(仮想空間内での身体の変容)と、舞踏の訓練テキストが組み込まれているのも心憎い。五〜七分というショート・セッションの場合、立ち上がりが早くなるが未知への対応のための引きとの案配で適度な速度が生成・加速され、切断をもって次セッションに変換されやすく、惰性や予定調和に陥るリスクが少ない。出演者の個性も際立つので私が白桃房結成期より採用している方法だが・・・彼らも手慣れたものだと、苦笑した。入れ替わり立ち替わりの集団にソロで対応するのは、鋭角の激流の中、水に噛み付くボートのように大変な負担(楽しみ)を独占することになるので、こちらも同人数(五人)の踊り手を立たせた。その方が両者共味わえる。もっとも始まってしまえば私はいつもの通り鬼面の指令塔と化す訳だが・・・・。

車座のディスカッションでは幾つかの質問をし合ったが、「あなた方の踊りには沈黙があるような気がします。私たちの音楽には無いのですが、沈黙は身体の外にあるのですか? それとも中ですか?」に私は「外にあったとしたら身体の中に入ってきて、それで風通しがよい身体になるんです」。私たちの舞踏とやってどうですかの質問に、「とてもプレイしやすい。即興音楽と芸術の方法が似ているのではないかと思う」とメリュー。私が音楽家でもあることが多分に起因していると思うが、それはともかく、多くのヴァリエーションとテクニックを持つ彼らとのコラボレーションは互いの異国情緒を素通しするほど、自然に親和していったように思う。これは彼らの持つ構築性がそれを促し、開放性と収束性のバランスを豊潤に保持しようとする意志が、そうさせているように思えた。

そして数日後、昼食に招待されたアルフィ事務所は市の中心街を臨む石造りのアパートの三階。4LDKのゆったりとしたスペースには数台のコンピューターに向かうスタッフたちと先の五人の音楽家たち。前菜はマーシュ(つみ菜)のサラダ。メインはメリューが前日から仕込んだというウサギの肉のワイン煮。ビール、赤ワインを飲みながら、彼らのヴィデオを観ながらの歓談に私たちはすっかり打ちとけた。日本のそれと比べると非常に固くてエッジのはっきりするベースのボルカトは大の日本映画通で、特に黒沢明に詳しい。ヴィラールとエレクトリック・デュオを組む若手のガルシアは「この次も前みたいに即興でやろう」。終始物静かなメルルはみんなからおとうさんと呼ばれていた。やっていて大変なことは?「大変なところはない。社会の方がフェスティヴァルとか持ってくるし、ストリートのショーにも市民的な集会にも出るし、根付く活動をしている。皆即興家だし作曲家です。・・・即興とはその場で作る作曲・・」

帰国の前日、運よくジャン・メリューがブッキングを務める<アポロ>のライヴを聴くことが出来た。場所はリヨン旧市街地の高級ホテル<タワー・ローゼ>(アヴァンギャルドな内装で有名。オペラ「蝶々夫人」のプリマ中丸三千絵さんの常宿)のバー。週一開かれる当ライヴのパンフにはティム・バーン、マルク・デュクレ、イヴ・ロベールの顔もみえる。

クラシック出身のジャン・リュック・カポーゾ(tp・bugle)を含めたジャン・ポール・オータン(as・cl)、アラン・ジベール(tb)と、三管(人)ともテクニシャンで、小品で組まれたそのライヴは道化的詩情を含む「レトリカル」なアンサンブルとでも言えばいいのか、繊細なハーモニーに紡がれていた。

演出後、<アポロ>、<マルミト・アンフェルナル>のメイン・コンポーザーであるアラン・ジベールとの会話は、彼のそのストレートな発言の中にナショナリティーを含む彼らの創作の個性に対する誇りを感じさせ、私のアルフィ観をより明確にしたようだ。

アメリカのものではアート・アンサンブル・オヴ・シカゴ、ちょっと違うけどコルトレーン、反対の意味ではデューク・エリントンが好きだと言い、日本人では山本邦三(尺八)の名が出たので、楽符に書き切れない音について訊くと、「ドレミとか楽譜とか、作曲でやりますが、一種の手段です。リハーサルを何回もして、ニュアンスになり、ふくらみが重層していく」。私の作舞法の一つと類するのでよく分かるが、緻密な構成の場合、形に嵌め込まれることから生じる窮屈さを回避できる。曲の長さ(三〜四分)については「子供にお話してあげるような感じでやっている。子供に長く話すと飽きるでしょう。アメリカの一時間もやるようなのとは違う。演出としてやるのがアルフィのやり方」。アメリカのパワー・ゲーム(沖氏の表現)と違い、社会性のようなものを感じるがとの質問には「競争はさせません。共同作業に百パーセント重点を置いている」。

日本に行って日本の音楽を聴いてみたいというジベールだが、日本のジャズファンへのメッセージとして「日本のミュージシャンはアメリカべったりみたいだけど、日本の古典音楽を聴くといいよ、と言ってください」とのことだ。

和魂洋才を強いられてきた日本人には耳が痛いところだが、日本産としてユニヴァーサルになった舞踏には海外から逆輸入されたイメージに知ってか知らずか追随する人間も多い。私共の師・土方巽(故人)にもすでにその萌芽は見られるが、「日本的なるもの」はスタイルに閉じ籠もる訳でもない。コンポジションとインプロヴィゼイションの生態系の中にもナショナリティーの斐は採取できる。

クラシック、ジャズと音楽三昧のリヨンであったが、また一つ日本を考える契機にもなったようである。

(ともえ・しずね/ギタリスト・作曲家、演出・振り付け・舞踏家、トモエ静嶺と白桃房主宰者)