舞踏・BUTOHの創始者土方巽を唯一継承、舞踏芸術の発展をめざし、実践する舞踏カンパニー「友恵しづねと白桃房」のウェブサイトです。

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蝶々夫人

文:友惠しづね
      1

 ▲美斗「病める秘蝶」
 1989年、美斗(みと)主演「病める秘蝶」を下北沢の「ザ・スズナリ」で行った。
「主役という役割くらいこなせなくては・・・」という私の提案から、私どもの舞踏団はメンバー全員の主役公演を順次執り行っていた。「病める秘蝶」はその一環の公演であった。
 主役の責務を果たすメンバーは、公演までの数ヶ月間生活のための仕事(アルバイト)はしなくてもよい。好きな踊りだけに専念出来る、一見羨ましいとも思われる主役の立場は、いざ稽古が始まると、フォローに回るメンバーに嫉妬という感情を芽生えさせないほど厳しい。また予め公演の場所・日時を決めているために、欲を持つ主役も自ずと積極的になる。
 人間関係の嫉妬と欲とのバランス上に成立させる個人への集中稽古は、主宰者の私としては効率的であるはずだった。しかし、自分の主役公演が終わると協力した他のメンバーの恩義など忘れたように、平気で辞める人も出てくる。
(主役公演打ち上げの席では「皆さんのおかげで・・・、これからより一層・・・」とか、満面の笑みを浮かべていたのに)と嘆いている暇は私にない。残ったメンバーに対する負債は全て主宰者が負わなければならない。
 町工場を経営する父も大きな不渡り手形を何回も掴まされ、そのために当時、私も薄給で家業を手伝わされていた。
「人が良いにも、ほどがある」芦川羊子からはよく諫言されてはいたのだが、「良い人しか創作など出来るものじゃない」と、その都度一笑に付していた。
 私とて、善人であろうはずがない。寧ろ落第者だ。「人が良い」と「良い人」は言葉上の語呂は似てはいるが、時には正反対の意味を持つくらいなことはわきまえているつもりだ。しかし、やっぱりどこかで繋がっている気もしていた。

 土方時代の舞台の主役を担った芦川の「自身のポジション確保」のための計算は動物的したたかさを示し続けていた。それはグループの皆が感じていることでもあった。現に、今回主役の大任を果たす美斗の稽古に妥協なく接する私に、
「彼女は駄目だから・・・、先生が傷付くだけだから(芦川と美斗は舞踏の創始者・土方巽時代から十年来の付き合いだが、長いと色々あるのだろう)」と、散々私を押さえた。
(人の可能性を措定することは、自分自身を決め付けることにもなる。それが私は怖くもあった。何れにしても結果は舞台に如実に現れてしまう)
 また、芦川の言いなりになると、グループ発足当時、踊り手、スタッフの人数は存続に関わるほど少なくなってしまうことも事実だった。芦川から「駄目」と云われた本人の名誉のために、美斗の踊り手としての個性を言っておくならば、自身フルートを演奏していたこともあったことからか、舞台上に現出する音に対する感性はメンバー内で随一であった。芦川はというと、音の空間性への変換、所謂「音を見る」べく感性が欠落していた。勿論、現在は格段に成長したとだけは付け加えておく。
 ただ、一流アーティスト相手にコラボレーションをする場合、表層的な「駆け引き」を手段として用いることは命取りになる。表面上、華やかで多彩(若しくは素朴で地味)に振る舞う彼らの表現は、その実ドスが違う。深いところで練られている。初心者はあくまで真摯を貫く謙虚さが要求される。
 未だに私は「駆け引き」は嫌いです。創作という未知に対するには「一人よがり」という孤高性=未熟さも欠かせない。ということはアマチュアリズムを抱きかかえ続けることはアーティストにとって必須条件ともなりますが、「駆け引き」という方法を用いることは相手が狂気とも思えるほどの時空に生きる場合を除けば、一見可能性に満ちた地平をかいま見せたとしても、結局お互いのキャパシティーに限定された景観の中で生きる他ありません。
 誰であろうと、アーティストの看板を張る人達には実力という懐事情もある。それはお互い様だ。ある時は考えるより先に体の方が勝手に動き、自分で自分の表現の恐さに震えてしまうこともある。それはアートに限らず仕事や恋愛や遊びや、人生のあらゆる局面で誰しも経験することだ。・・・しかし長続きはしない。

「薬をやったところで自分でもどこかで、これは嘘なんだと知っている(戦後、学生ヤクザとしてグレていた頃の体験だろうか?)」
 そう言ったのは私の、そして私どもの舞踏グループの盟友、日本のフリー・ジャズ・シーンの開拓者・吉沢元治氏だ。百人以上におよぶ異種ジャンルの共演者の中で、彼の演奏と私どもの踊りとのコラボレーションは四十回と、一番多い。

▲山梨県身延ライブにて、ジョー水城(左)、友惠しづね
 駆け出しのドラマーだった頃、不慮の事故で恋人を失ったジョー水城(みずき)氏は、いつでも陽気で剽軽だった。「骨までは切らせないが、肉だけは切らせても良いと思える人間に、たまには出逢える」と、一人うそぶく。
 どう切り抜け、どう生き抜くか?
(何も出来ない)という痛切な想いから、人生は始まる他ないのかもしれない。
 私どものメンバーは私がまるで魔法の箱を持っていて、必要なものは何でもいとも容易く引っ張り出すと思っている。とんでもない話だ。偉そうな顔をして踊り手を追い込んでいる私だ。「出来ません」などと彼らに甘えられる筈もない。プレッシャーから胃潰瘍になり稽古のために病院を抜け出そうともやるべきことはやるのが人としての筋。と、言うと格好良く聞こえるかもしれないが、単に創作が好きなだけ。誰しも、しーん、とした病室に一人いるより友達といる方が楽しいに決まっている。「他人(ひと)のため」と思うと不思議に体調も良くなる。
 現在、「(株)オフィス友恵」の代表はカガヤサナエである。当時はまだ普通の高校生。過激だが酔狂な舞台を生きる私どもの存在など知る由も無い。
「トップは孤独だよ」と、私が軽いジャブを放つと、社長業の激務からか彼女は涙を流す時もある。「トップは孤独」、これは普段は寡黙な父が私に呟いた言葉だった。


「病める秘蝶」
構成、演出、作曲 友惠しづね
  振付け 芦川羊子、友惠しづね
  踊り 友惠しづねと白桃房
  三上寛
  コントラバス 吉沢元治(1998年没、享年68歳)
  ドラム ジョー水城(1997年没、享年57歳)
  ギター 友惠しづね
DVD発売予定




      2

 ▲マダム・バタフライ
  (国立リヨン・オペラ劇場)
「胃潰瘍だったら私の方が先輩ですよ」吉田喜重監督がニッコリ笑って私に言う。オペラ・ハウスでの公演後のパーティーのことだった。
 国立フランス・リヨン劇場でのオペラ「蝶々夫人」の演出に就任していた吉田監督が「病める秘蝶」を観に来て下さっていた。その後出演を依頼されることになる。当初、吉田監督は男女中性的な踊り手として私の出演も目算されていたようだが、私は振付けに専任させていただいた。
 即興音楽からクラシック音楽へ。舞踏コラボレーションのシフトは私は勿論、吉田監督にしても極自然にイマジネート出来る範疇であった。神仏混淆に表象される日本民族の特性は異種コラボレーションのスキルを既に血肉化しているようだ。
 


「蝶々夫人」
1990年 リヨン
  1992年 グルノーブル、クレルモン・フェラン、リヨン
  1995年 リヨン、バークレー
  コンサートマスター ケント・ナガノ
  演出 吉田喜重
  美術 磯崎新
  衣装 山本耀司
  振付け 友惠しづね


 私の好きな演歌の一曲に島津ゆたかの「花から花へと」がある。家の工場で働いていた工員さんにカラオケスナックに連れて行かれた時、彼が必ず唄う得意なレパートリーの歌だった。父と同世代のその工員さんは競馬が好きで、後にサラ金に追われ行方不明になったが、同じ職場で働きながら芸術とやらにうつつを抜かす私のことを、
「お父さんも根性あるけど、あんたも根性あるな」と苦い顔をしながらも大目に見てくれていた。「花から花へと」DNAを伝播するのは蝶。「病める秘蝶」と「蝶々夫人」。「蝶」が取り持つ縁で私どもはオペラ・ハウスの舞台に立っていた。

 音楽と踊りの関係は有史以前から自然発生的に紡がれてきた。食べ残された獲物の骨はスティック、あるいは笛として楽器という機能を担わされる。知らぬ間に身ぶり手振りをまじえ動きだす人もでてくる。作曲家や振付け師という職業が制度化されるより遙か昔のことだ。
 長唄に日本舞踊、クラシック管弦楽にバレー、祭り囃子に盆踊り、クラブ・ミュージックにダンス、多くの舞踊は形態の完成に伴い音楽が先行するようになる。
 ところが、私の示唆する「舞踏」は音楽と踊りの同時生成というスタンスに成立する。そこでは「即興」という概念がキー・ポイントとなる。
 では「即興」とは何か?「即、興じる」一見簡単に定義付けられそうなこの言葉、実はあまりの奥行きの深さに定義不能と言っていいくらい難解だ。
 西洋かぶれの音楽評論家には、コード内の「アドリブ」に対比させ「即興」を語る輩がいるのも悲しくも哀れな現状である。日本語の「即興」は西洋概念の「インプロビゼーション=対象化されたカテゴリーの枠を壊し続ける表現行為とその手段」とは構造的にズレている。
 例えば、書道家が書くお決まりの字は確かな形ではあるが、状況に即応する筆致、墨の濃淡など、ライブ性を重視する。また、俳句、短歌の堅牢な形こそ自他(表現と対象)の自在な感応を必要とする。そこでは作者の世界観、人生観と作品のモチーフが「即興という必然」で多様に関わり合っている。「即興」は単に「形」のアンチ概念ではなく、生の無数の局面での束縛と自由、顕在と秘め事の交感する魅惑的な時空間なのです。
「即興」それは、人類という普遍的地平のコード上、コード外に多彩に展開され続けている必然としての風景であり、何も職業的作家に独占され得るものでもなく、意識的、無意識的に関わらず、既に私達の大事な日常を成立させるスタンスとなっている概念なのです。

 さて、私の舞踏コラボレーションにおける振付けは、共演者がアカデミックなのか前衛なのか、スタンダードな形を志向したものか「即興」というスタイルに促されたものかに一切こだわらず、方法は同じです。表現に携わる、今ここにいる人間が放つ「テクスチャー」への絶賛と真摯な対応です。私は共演者という人間を認識という知的フレーミングを取り払った触覚的な感覚で受け止めます。勿論、実際に共演者の体に触れるというわけではありません。主に視覚、聴覚を触感覚に変換させる情報入力という認知方法を取ります。これは二度と繰り返せないライブ(出逢い)の「空気感まで読み取る」のに必須のコミュニケーション手段です。
 私が共演者を「読み取る」と云う時、相手が「何をするのか(例えば、譜面通りに演奏する)」ではなく「何者か」を感知すること。それが踊り手に振付けを施す私の糸口となります。
▲プランを打ち合わせる吉田喜重氏と友惠しづね
 オペラ公演の場合、共演者はオペラ歌手(美術、衣装、照明など他の全ての舞台要素と踊りの関係性は既に決めている)ですが、一番困ることは公演期間中に平気でキャスト替えがあることです。リヨンでの地元公演の場合四回の本番のために商業舞台では考えられないほどの長いリハーサル、休日(歌手の喉のために連日本番は無い)で一ヶ月余の拘束となる。その公演終盤でキャストが替わると、その出演者に舞台の段取りを一から教え直すために追い込まれるのは監督である吉田喜重さんです。その姿は端で見ていても気の毒なほどですが、黒のデザイン・スーツの中の彼の細身の体からはパワーが途絶えることはない。聞くところによると公演先でも毎日スポーツジムに通われているそうだ。
 では、既に振付けが施されている踊り手はどうなのか?

 先ほどから繰り返すように、私の振付けは単に音楽のメロディー、リズムに合わせるような創り方をしていない。見ず知らずの人たちとコラボレーションすることによって観客サイドにとっても演り手サイドにとっても常にコミュニケーションの新たな局面を開示していくことを求めている。ですから、共演者という人間の、大げさに言えば「生き様」に積極的に呼応、関与しようとします。そんな中、共演者のキャスト替えは私どもの踊りにとっても死活問題となる。私どもはシナリオ中のキャストと付き合っているのではない。舞台に今立っている人間と関わっているのです。感性の鋭敏な共演者の場合、課せられたコードの規制が厳しい場合でも共鳴する人もいます。
▲ケント・ナガノ氏に登場シーンの振付けをする友惠しづね
 例えば、今回のオペラ公演「蝶々夫人」の臍・中心になるコンサート・マスターのケント・ナガノ氏は舞台入場挨拶の際、私に舞踏の歩行を振り付けるように依頼しました。オペラ公演は舞台アートとは云っても、やはり音楽が優先しますし、批評にしても音楽が芯となります。タキシードを着込んだクラシック・ミュージシャンは他の音楽ジャンルの人たちと比べると相対的にプライドが高い。中には同じ舞台で共演する にも関わらず踊り手など鼻にも掛けないという人もいる。そんな中、ナガノ氏の舞台全てにおよぶアートに対する真摯な姿勢に私は感服しました。
 誰しも人生を一変させるような魔法のようなマニュアル、メソッドさえあればと、日々願います。それさえ見つけられればどんな仕事も巧くいき、望む恋愛は成就し、如何なる困難をも乗り越えられる。しかし、ベストセラーの「成功のためのハウツー本」で成功したのは作家とその出版社だけだったという事例はけっして稀ではない。結局、自分の個性を謳歌する方法は、日々の試行錯誤の中で自分という体を通して探求していくことが最もナチュラルではないかと思えたりもします。世の中には魔法を使える方もいるのかもしれませんが、少なくとも私どもの踊りは「三歩進んで二歩下がる」という「愚図でのろまな亀」のように歩きます。しかし、世界に二つとない自分の「体」で考えるという曖昧なマニュアル、メソッドはそれを実践する踊り手にとって、人生の確信を感じさせる幼くも夢に満ちた方法です。あまりに多様な個性に満ちた人の体は、本屋さんの店頭に山済みされている商品の中で息づくには窮屈なのかもしれません。

 さて、私の作舞法は、それを唯一受け継ぐものと自負している私ども舞踏グループの師、故・土方巽の身体表現から始まりますが、その作舞の方法は早過ぎる死(1986年、享年58歳)により未完、未監修のまま終わりました。彼の死後、土方の舞踏論を語る人は多いのですが、踊りという体を駆使するアートにも関わらず何れも「頭」だけの思念、夢想から恣意的、御都合主義的に展開されているだけのように思えてなりません。これは土方が自ら創り出した舞踏技術に関する資料とヒントを門外不出=秘密にしたことにも起因しますが、やはり土方の死後、彼の舞踏の政治にまつわる輩の謙虚さを忘れた姿勢に問題があるのではないかと思います。世界に生きる全ての、それぞれの人間の体が抱える膨大な個性に立脚しようとする、あまりに無垢で無謀な夢を追い求めることを一早く放棄した、水の流れない「腐った池」に安寧とする生き方には、私は一切魅力を感じません。あくまで揺れ動く自分という体で人生を考えたい。
 私が未完、未監修の土方の残した作舞法に取り組む時、原動力の一つになったのが、私自身が幼少の頃より取り囲まれて生かされてきた、人間の願い(例えば、病気を治したいという)が具体的に織り込まれた宗教舞だと思われます。(関西では超メジャーなその宗教舞は「当て振り」が多様されているが、踊り手の質感はそれぞれの生活や願いから、皆違って観える)。
 私は信仰には無縁の人間ですが、私の持病の喘息を治すために母は熱心な宗教信者でありました。ですから私は、演奏にしろ踊りにしろ、作曲、振付けのコードからはみ出してしまうところに、「人間」の妙なる面白さがあることを幼き頃から感じていました。
 だからでしょうか、(コードからはみ出た面白さを先回りして振付けに組み込んでしまおう)そこが私の振付け法の特色です。この仕事のオペラ関係者は元より、舞踊関係者も予想だにしないことだと思います。
(共演する踊り手の振付けは楽曲や歌詞が先行する。歌手の個性は介在しない)という先入観が、特にアカデミックなジャンルでは入り込みやすい。ですから主催者から、歌手のキャスト替えがあったからといって、踊りの稽古のための特別な時間が与えられることはない。

▲出番直前まで友惠しづねの入念な演出が施される

 では、どうするか?替えられたキャストの稽古、リハーサルを盗み見るのです。その歌手の声は勿論、体の状態、他の共演者との兼ね合い、場(オペラ・ハウス)との関係性を読み取る。しかも、素早く。そして、その「人」の個性を私自身の体に刻印する。全てはここから始まります。私にとっては子供時代から日々接し続けた、命と生活が掛かった宗教儀式としての舞台の方が芸術とされる人たちの造り上げる舞台より、遥かに切実に感じられる時があります。
 これは共演楽目の作曲家がプッチーニだろうがモーツアルト(1991年NHKオペラ「魔笛」出演)だろうがhideさん(X JAPAN)だろうが変わらない。私の振付け法は体をもって歌唱、演奏する共演者の「人」に依ってなる秤目が大きく作用する。
「空間は時間を孕み、時間は空間を包容する」、日本文化に定着する言葉を借りるならば「間(ま)のテクスチャー」という言い方が近いのかもしれませんが、確かで曖昧である体を媒介にしたコミュニケーションには無限の魅力が潜んでいる。分析を拒むが、意識の水位を下げれば誰にとっても瞭然となる、五感(最近では皮膚感覚、平衡感覚、内蔵感覚、運動感覚を加え九感と云われている)情報の制度化された収斂回路とはズレたところに息吹く体(私はそれを詩的身体と呼んでいる)。そこでは視覚も聴覚も他の感覚も自由に変換し合います。
 何も難しいことをいっているのではありません。恋人の顔に見惚れていると、流れているお気に入りの音楽も耳に入らない。では音楽は必要無いのかといえば、そんなことはない。聴覚情報は別の感覚に変換されて、二人のシーンに寄与しています。舞台でも同じことが行われるわけです。
 私の振付け師としての仕事は踊り手の詩的身体を媒介にして共演者と交感することです。「時空間」という言葉を使うと、また難しく思われそうですが、そこに確かにいる「人」と共有する「時空間=恋愛場」を秘め事のように「馴染ませる、滲ませ合う」。ここに、私の振付けの地味ではありますが熱望が息づきます。
 舞台はそれに参画する皆が創り出す現実的としての夢です。その意味においては、人類の日常(意識の最大公約数から最小公倍数、そして無限に未知なる無意識、「余り」を許容する)という舞台=営みと変わるところはありません。

 黒の上下のスーツに床まで届くような長いマフラーを羽織るダンディーな監督然とした吉田さんだが、実際の仕事現場ではまさに体を張った作業。妥協は一切無い。一見エレガントだが、演劇界の強者を相手にしていただけあって、体に芯が通っている。私が演出に関わることまで口を挟むと「今回は、そのようなプレゼンテーションはありません」と、キッパリと拒絶する。逆にそれが小気味がいい(私も演出家ですので吉田さんの立ち場は分かる)。一緒に仕事をさせて頂けて嬉しい。何より、仕事に対しては緻密な神経を配る方でした。
 ソプラノの中丸三千繪さんは初回は控えの歌手であったが、その後「マリヤ・カラス・コンテスト」で優勝され二回目以降はプリマとして舞台に花を添えた。
「ヴェルサイユ宮殿で歌った」「NHK紅白歌合戦に出演依頼があったけど、審査員を受けた」など、私どもとは縁遠い話をなされて、私はただ「はあ、はあ」と頷くだけだが、主役の重責は端で見ていても熾烈なほど周りの人に対しても繊細な心配りをされていた。中丸さんのオン・ステージ、オフ・ステージに接した私は、とにかくオペラの主役を張ることは並外れたパワーがなくては勤まる役割ではない、と実感しました。
 パーティー等で同席されていた加藤和彦さんが、オペラ公演の巡業を「どさ回り」と評されていたが、見た目の華やかさとは裏腹に、出演者、スタッフ共々体当たりの参加が要請される舞台。馴れ合いはありえない。当然泥臭い人間模様も見えてくる。

 リハーサルではイタリア語、英語、フランス語、日本語が錯綜したバークレー公演の打ち上げパーティーもそこそこに、私は疲れ果てた体をホテルの自室のベットに潜り込ます。しばらくすると私の部屋の扉をノックする音が聞こえる。「中丸さんの部屋(スイート・ルーム)でパーティーが開かれるから」と、芦川が私を呼びに来た。
「明日も早いし、もう寝ます」と私が拒むと、「中丸さん、ケースに入っているビールの栓を全部抜いちゃっているから、先生、行かないわけにいきませんよ」と芦川は譲らない。中丸さんは皆に気を使いまくっていてくれてた。
 私が寝ぼけまなこでホテル最上階にある中丸さんの部屋に入ると、リヨン国立管弦楽団に所属する日本人演奏家などが芸術論を語っている。今回の公演の新聞評(実は賞賛記事は音楽には直接関わらない吉田監督と私に対するものが主だった。私は後ろめたい気持ちにかられていた)をネタにして、皮肉とも取れる発言が横行している。

 海外で日本人同士が揶揄し合う姿は醜いものだ。特に西洋文化に対する媚びが絡む場合は尚更である。彼らは国際性を履き違えて解釈している。自らが育った地域性を尊重してこそ意味を持つ概念なのだ。私は嫌な気分になった。部屋には中丸さんのファンから送られたという日本酒も置いてある。その後の成り行きは、私の性格をご存知の方なら大方予測が付くと思う。「あの時は、凄かったね」と苦笑いされたのは、後日私どもの公演を観に来て下さった加藤和彦さんだった。
 深酔いで、帰りの飛行機に乗り遅れてしまった私は、次の日、サンフランシスコ近代美術館で開催されていた「日本人の現代アート展」に行く。男性性器をモティーフにした草間弥生氏などの作品が展示されていた。
 かつて舞台で使用していたビートルズの音楽がBGMで流れる美術館内の小さなコーナーに、私どもの踊りの師である「土方巽」の写真、死後型取りされた彼のブロンズ製の足、日本の文学者の批評文等も展示されていた。何故か、私どもが知っている実際の土方の印象とは随分と掛け離れている気がした。
 展示場の部屋を出ると、胸に名札を付けていたから、たぶんボランティアの解説委員なのだろう、初老を迎えた小柄な日系の女性(彼女には私が日本の優しそうな青年と映ったのだろうか?私は大のおばあちゃん子)が、親しげに私の腕を掴んで、廊下の隅に招き寄せる。英語と日本語、お互い言葉はカタコトだが、意志は通じた。
 その女性は一方の手で私の手の平を握り、もう一方の手で私の手の甲にリズムを刻みながら小さな声で唄いだす。
「ぽっぽっぽ、はと、ぽっぽ」
「do you know this song?」と、私の顔を覗き込む。
「yes,yes,of course」と私が大きく頷くと、彼女は嬉しそうに笑い、私たちは一緒に唄い出した。
「ぽっぽっぽ、はと、ぽっぽ、まめがほしいか、そらやるぞ、みんなでなかよく、たべにこい」途中、つっかかりながらも、その都度、私たちは顔を見合わせて合唱した。
 唄い終わると、彼女は少女のように笑った。束の間、日本への遠い郷愁を味わっていたのだろうか。私も彼女に連られて、何か言い様のない懐かしさがこみ上げて来た。

2008/1/1 UPDATE 読みもの
土方舞踏批評 1  執筆:友惠しづね New!
アコギ・ファン 文:友惠しづね
大野一雄氏100歳をお祝いして 大野慶人氏インタビュー
 
聞き手:土方巽舞踏鑑 代表 カガヤサナエ
「南管オペラ」のアーティスト達 文:友惠しづね
台湾での舞踏講習会 -「江之翠劇場」の皆さんと- 文:友惠しづね
糸宇夢(しうむ) 「宇宙の中のひとすじの夢」 文:友惠しづね
舞踏の精髄 文:芦川羊子
My Sweet Lord 文:友惠しづね
眠りへの風景(エイジアン・コラボレーション) 文:友惠しづね
蝶々夫人 文:友惠しづね
南管オペラ 文:友惠しづね

X JAPAN hide(2005年9月25日hide MUSEUM閉館に寄せて)  文:友惠しづね

ビヨンド・ブトー 文:友惠しづね
third eye  文:友惠しづね
振付について ミラーリング 文:友惠しづね
形について・PART2 ニャン子ちゃんへの質問状 生命(いのち)の舞台あるいは近似値的絶対 文:友惠しづね
新宿アートビレッジ 文:芦川羊子
小さな祈り 文:友惠しづね(2004/8/15)

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