舞踏・BUTOHの創始者土方巽を唯一継承、舞踏芸術の発展をめざし、実践する舞踏カンパニー「友恵しづねと白桃房」のウェブサイトです。

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My Sweet Lord

文:友惠しづね

    1

 小学校の三年生の時だったろうか。私は、学校の帰り道である目黒不動尊境内の片隅で、一人の絵描きさんが小さな石地蔵を描いているのを見つけた。
 その絵描きさんは三十歳くらいのおじさんだった。耳が隠れるほどの長髪にベレー帽を乗せ、右手に絵筆を摘むように持ち左手は何色も絵の具を乗せた木製のパレットの穴に親指を通した、いかにも絵描きさんという風体で、キャンバスと石地蔵を交互に見つめていた。
 学業が取り立てて良いわけではなかった私は、しかし図工の成績だけは良かった。写生大会で賞状をもらったこともある。絵を描くことは好きだった。
 私は背伸びしながら絵描きさんのキャンバスを覗き込む。
「ボク、絵、好きなの?」絵描きさんはチラッと私の顔を見ると、直ぐに目を戻し、口元だけ笑って言った。
「うん、好きです」
「そー、なに描いてるの?」
「はー、けしき、とか・・・」
「そー」
 絵描きさんの真剣な眼差しは石地蔵とキャンバスを何回も往復しながら、それでも口元だけは笑いつづけていてくれる。
 キャンバスの三脚の下に置かれた絵の具箱には、中身の絞り出された油絵の具のチューブが幾つも身をくねらせている。
(私の持っている十二色の水彩絵の具とは重量感が違う)。
 絵の具箱から跳ね上がるように乱雑に置かれた絵の具のチューブたちは、絵描きさんの笑顔とは裏腹の激しさを表しているようで、幼い私に、怖くもあるが同時に憧憬の念をも抱かせていたようだ。
 絵描きさんは木立が繁る小山の斜面に、埋め込まれるように立っている小さな石地蔵に向かい、ただ一人描きつづける・・・。
 私はその日の夜の食卓で、家族に、
「大人になったら絵描きになる」と、呟いてみた。
 実家を「賭け将棋」で奪われてその後、下半身不随の妹(私の祖母)を頼り酒に明け暮れるその兄(私が祖父と思い込んでいた親戚)、祖母と喘息の私の病気治癒のために宗教に狂奔する母、経営上のプレッシャーから胃潰瘍を患う中小企業の社長である父。互い違いに向かい合った家族は、普段から喧嘩が絶えなかったが、この時ばかりは申し合わせたように、彼らの呼吸がぴったりと合った。
「絵描きになる・・・」という私の言葉に、一瞬彼らは息を飲み、そして声を合わせて大声で笑う。
「絵描きになるだとよ」祖母の兄が焼酎をあおりながらゲタゲタ笑う。母はのけ反っている。「困った奴だなあー」というように温厚な父も苦虫を噛潰すように笑う。
「芸術家なんかになったら、一生貧乏だよ」と、普段は優しい祖母が私の顔を覗き込み諭すように言うと、またみんなでドッと笑いだした。


    2

 仏の慈愛の表情として日本人に親しみ深い半眼微笑。人間の宿業が持つ苦しみからの祈り願いを無条件で受け入れてくれているような優しい面持ち。それは宗教アートとして日本文化の美を表象するものでもある。
 永遠の命、無限の慈悲を求めるのは人の「さが=欲望」。
 放っておけば、人間の欲望は身のほどを遥かに超えて肥大化してしまう。そんな人たちが必要とする仏の姿もまた永遠に朽ちず、無限を表徴するかの如く巨大化してしまう。もともと日本人には、生活を共有する「一木一草」にまで仏の境涯を観る感受性を備えていたにも関わらず・・・。仏界という仏本来の在り方は象徴的に形化されるなかで歪曲されるリスクを孕まされる。
 例えば、仏像の制作に時代の覇権者が関わることにより、仏は国家統治の装置として機能してきたことは周知です。
 座丈十四、七メートルの奈良の毘盧遮那仏、十一、三九メートルの鎌倉の亜弥陀如来のように、その仏は大きさゆえの威厳と鋳物仕立てという耐久性を備えます。

 私自身、途中ブランクもあるのですが、十数年間父の経営する鋳物工場を手伝っていました。折しも製造業不況の時代、手間だけ掛かって金にならない美術工房からの、意匠を凝らした仏教祭具の鋳物の発注を受けることもありました。ですから、ブロンズ製の仏像ができ上がるまでの技術行程は容易に推察できます。世阿弥のアート・メソッド「風姿花伝」ではありませんが、見せないからこそ花が咲く舞台の、裏事情を知ってしまった私にとって、ブロンズ(銅合金)製の仏像に宗教的敬虔さを感じるには、いささか抵抗があります。
 
 ブロンズ鋳物で造られた大仏は無垢ではありません。中は空っぽです。
 [しけ]、[皺](融かした金属は凝固時に、ある一定の法則に従い収縮する。この法則に外れた作業をすると、でき上がった品物の表面に傷が現れる)を出さないために溶解時の金属の温度、鋳造される金属の厚さは緻密に測られねばならない。
 大仏という超大物鋳物品の場合、とても一回の作業だけで完成する代物ではない。金属を融かしては固めるという鋳造作業が何回も必要になる。まず台座、そして足、腹、胸、というように仏像の下から順に造られていく。そのため、時間をおいた一回毎の作業の痕跡が[湯つぎ](固まってしまった金属に後から融けた金属を融合させたときにできてしまう線)として残ってしまう。
 完成品の大仏に何本もの横線が走っているのはこのためである。
 以前、韓国ソウルの国立博物館で、数体の中型(三、四メートル丈)の鋳物製仏像を観たことがあった。私が知る日本の鋳物製仏像は、[湯つぎ]の痕が線として残るだけ、つまりそれは幾度も繰り返す緻密な鋳造作業においても、必要不可欠に生じる痕にとどまる程度であった。しかし、韓国製の仏像は粗雑な作業工程を誇示するが如く、[湯つぎ]の痕が明かに[はぐんで](ズレて)いた。
 それは一目見れば分かるほど大きなズレであり、同じ仏教の洗礼を受けた国でありながら仏の形に対するこだわり方に日本とは大きな違いを感じ、唖然としたことを思い出す。韓国の仏像はワイルドであった。
 このことは隣接する他国家、他民族とその生活、文化と連携を保ちつづけた仏教観の独異性を容認すること、言葉を代えれば日本人に馴染み深い仏教とそれを表象する形を相対化させることの必然を私に迫る体験であった。

 大仏制作の場合、一回の(これとて大掛り)鋳造作業毎に、その都度、鋳型の回りに数基の炉(金属を融かす壷)を特設する。
 鋳物製造は今でも危険を伴い、また高度な技術を要する。
 ブロンズの融解点(金属の融ける温度)は千度にも至り、それを融かす炉の外側の温度は三千度を超える。この炉が[壷漏れ](熱している最中に壷が割れて、中の煮えたぎった金属が溶岩のように外に流れ出す)を起こすことがある。
 そんな時は直ぐに、[掻き出し](壷から漏れつづける金属が融けているうちに他の場所に移す)をしなければ、周辺に勝手に流れ出し無秩序に固まってしまう金属により、炉は二度と使いものにならなくなる。
 例えば私の働いているような小さな工場でこのような事故が起きた場合、その処理を間違えれば即廃業の憂き目に合う。私は十回ほど経験した。
 時間を争う作業である。「火傷が恐い」などと言っている暇などない。生きた心地がしない。ましてや大仏制作という大物の鋳造現場で事故が起きた場合、作業に携わる職人の命に関わるであろうことは容易に推察できる。
 思いもよらない些細なことでも事故は発生する。戦中、戦後のことだが、融かすべき鋳物の材料に小さな薬莢(火薬を詰める弾丸の容器)が混じっていることがあった。その密閉された薬莢の中の空気が熱っせられた壷の中で膨張、爆発し壷を壊すということもあったという。
 父はくどいほど私に注意した。
 私は炉の中で爆発し飛び散る融けた金属を頭から浴びたこともあった。幸い、仕事中キャップを被っていた(他の職人は頭には手拭いを巻いている)私の火傷は大事には至らなかった。急いで体に付着した幾つもの熱せられた金属の雫を落とす私の姿を見て、現場で一緒に作業する職人たちは冷ややかに笑っていた。
「体で覚えなくちゃな」
 それが職人の気概であった。

 鋳造作業の命ともいえるポイントは、融かした金属の温度調整である。
 鎔解温度が低いと[のたらず](金属が流し込まれた鋳型の中で形に行き着く前に固まってしまう)になり、逆に温度が高過ぎると、でき上がった製品の表面に[洲](小さな穴がたくさん生じてしまう)が現れる。失敗である。これを業界用語で[お釈迦]と云う。「火が強い」の語呂を仏滅である「四月八日」に多少強引に思えるが掛けたところに始まる。
 私の弟が勤めていた新日本製鉄というような大手では、温度調整をコンピューターで制御している。しかし、家のような小さな町工場や昔の鋳物屋はこの作業を鎔解された金属の色、匂い、粘り具合など五感による職人技で行っている。

 鋳物屋が祀る神様の名を金屋子(かなやこ)という。毎年十一月八日にはふいご(火を興す時に使う風を送る道具)祭りが行われ、炉が酒で清められる。仏教とは関係がなさそうな神様である。
 仏様や神様という生き物も、人間の生活との共生のなかで度を超すまで威厳を備えてしまうと、両者の関係もけっして自在なものではなくなる。知らぬ間に隷属を安寧と、依頼心を信仰と取り違えた人たちが、あらぬ方向に跳梁して行きかねない危険を孕むことは歴史の検証を改めるまでもない。
 神仏は人間の身の丈から少しはみ出すくらいの大きさが、両者の付き合いをより豊穣な彩りで滲み逢わせる。
 そこにはあらゆる人生の秘技である「親しみ」が、・・・尽きない。


   3

 江戸時代、隠れキリシタンたちは、信仰の対象をカモフラージュするために「マリア地蔵」なる石像を造った。幼子(キリスト)を抱き、隠すように十字を意匠した聖母像は、石仏としてお上の目を逃れつづける。
 維新後、キリスト教が解禁されると、各地に教会ができる。隠れる必要のなくなったキリスト教徒たちは、大手を振って教会に通うことができる。にも拘らず、彼らの多くは教会に行くことを拒んだ。鎖国時代を通して先祖伝来信仰しつづけた「マリア地蔵」を容易く捨て去ることを拒む。風俗に根ざした生活者としての心情が作用してのことだった。
 ここに、日本人の宗教信仰の特色を読み取ることができる。
 教会や神社、仏閣が神殿=形に神を住わせる「おやしろ」信仰であるのに対し、地蔵はその物自体を神とするフェティシズム、「物神(ものがみ)」信仰と捉えることができる。
 風雨に朽ち果て石くれとして自然環境に同化していく宿命を担う地蔵は、だからといって新品に替えられるものでもないのです。
 さて、日本の近世に庶民によって造られたこの「マリア地蔵」、果たしてキリスト教の神を現すのか?祖霊信仰と馴染んだ仏を意味するものなのか?
 私には、それに祈り願う信者の人々にも、実はよくは分かっていないのではないかと思えてならない。異文化を咀嚼吸収してきた神仏混淆という歴史を持つ日本人が備える、これも一つの生業(なりわい)のように感じられます。


    4

 ▲ネコ地蔵(観泉寺、杉並区今川)

  お地蔵さんの首には、よく、よだれ掛けが巻かれています。まるで、赤ん坊のようです。
 人間の祈り、願いを聴き入れてくれるはずの尊い地蔵菩薩が、赤ん坊・・・?
 考えてみれば、不思議です。「とげ抜き地蔵」は束子で洗われ「化粧地蔵」は顔におしろいを施されます。まるで自分の子や孫の寿福を祈るようにいたわられます。
 信仰者とお地蔵さん、願い祈る者と願われ祈られる者、この両者はいとも容易く『役割交換』をします。
 お地蔵さんのよだれ掛けにはミルクが染込ませてあります。それというのも、まだ目も開かぬ赤ん坊の霊をミルクの匂いで引き寄せ成仏に導くためと聞きます。
 自分も赤ん坊になって赤ん坊を救う。お地蔵さんの、そんなけなげな心が庶民に愛される由縁にもなっているのでしょう。

 私どもが創った舞踏作品「蓮遙(れんよう)」は、親からはぐれてしまった眷属の子供とそれを見つめるお地蔵さんの物語です。
「舞踏舞台の真実とは何か?」と、問われれば、私は踊りという手段で*演じられる「その者、物」に成り切ることと答えたい。勿論、何にでも成れるわけではありません。
 私の創る舞台に登場する役柄は限定されます。人間関係でのセコい騙し合いは日常的に行っている私ですが、職業としての詐欺師やましてや殺人者などの役柄は私の舞台に登場する術もありません。キリストや仏陀などという偉人たちも、その容姿を真似ることは出来ても成り切るなどは、私にとってはあまりに超絶した存在故に、おこがましいと云う他ありません。
 ところが、ある売れない自称アーティストが「お地蔵さんに成ってみよう」との傲慢な想いを抱いた時、実は全く手立てが無いというわけのものでもありません。願い祈る者と願われ祈られる者との間に交わされる密約、『役割交換』の法則を利用すれば・・・。
 お地蔵さんは、昔話の「傘地蔵」のようにたまにはあっちこっちと散歩もするようですが、普段はあまり動きません。それで、「蓮遙」という舞踏作品に登場するお地蔵さんの踊り手もニコッと笑ってはいますが、ほとんど動かなかったりしています。舞踊業界の専門家と云われる人の中にはこの踊り手たちは「下手くそ」なんじゃないか、と言う人もおりますが、私どもとしてはそれで手いっぱいというところでしょうか。
 もともとお地蔵さんは自然や人間の生活の中に溶け込んでしまっていて、取り立てて目立つ存在でもないのですから、誰も背伸びしたり肩肘を張る必要などありません。
 グローバリズムが宣揚される今日、人類の正確な寸法を計る物差しは大海の荒波の中で浮き沈みしているようです。
 ただ生きているだけで素晴らしい、一人一人という体を備えた人間。身長、体重、視力、聴力、知力という見える座標軸では計り切れないたくさんの個性たち。
 自分の呼吸のリズムに合わせて、ふと、振り返ってみると、そこにはあらゆる民族、地域に根付くそれぞれのお地蔵さんが息づいています。
 お互い自分という体で、その時その場でやれることをやる以上のことを望みあうのは、僭越なのかもしれません。



* 歌舞伎にも作品を提供している人形浄瑠璃の劇作家・近松門左衛門の演出メソッドに「虚実皮膜論」があります。そこには「虚にして虚にあらず、実にして実にあらず、この間に慰みが有るもの也」とあります。
 虚と実の微妙な境に演じる行為の醍醐味があるという意味に、私は捉えています。同じ日本の舞台人として、とても親しみを覚えます。
 ただ、舞台という非日常空間に日常性(言葉は最たるものである)を再現しようとする演劇と、儀式、祭りなど非日常的行為にルーツの一端を持つ舞踏とは、自ずと舞台への関わり方が違ってきます。この両者が、例えばフェスティバルなどでは、同じ劇場でパフォーミングし比べられたりもする訳ですから、観客にとってはそれもまた一興というものです。
 舞踏(誤解を招かないように「私の舞踏」と言い換えてもよい)も、鳥、動物、植物、眷属、物を演じます。
 勿論、人間も演じますが、その多くは洋の東西を問わぬ写真、絵画、彫刻、文学作品等に素材として登場する人物たちです。
 踊りが出典を求める他ジャンルのアーティスト達のそれぞれの作品は、どんなにリアリティー溢れるものでも、当然、作者の感性、創作意図が反映しています。既に抽象化された世界を表現しているということです。つまり、ポエジーを備えています。
 近松の「虚実皮膜論」が語るところの「実」とはモデルとするべき実在の人物であり、「虚」とは舞台上で演出を凝らされた人形=役者のことを云っておりますが、舞踏の場合、模写される人物は初めから実在と距離を持った「詩的存在」であると云うことが出来ます。
 そこに舞踏家である私が、現代演劇にも通じる近松の演劇論に親しみを持ちながらも、違和感を感じる理由があります。
 インド以東の東洋人は有史以前より、生活と自然を不可分に共有する人生観、世界観を体に備えています。
「自分とは別の者・物に成ろう」と改めて想う必要もない程、一人一人の人間には予め全てのエレメントが備わっている。それが各々の背負った宿命や、幾多の巡り逢いという縁により多彩な景色を引き出し続ける。そのダイナミズムを人生と呼んだり個性と名付けたりしています。
 社会的役割というフィルターを一枚捲った時に露になる生身の個性は、もしかしたら「詩的」にしか表現出来ないのかもしれない。「自分」というプレゼンテーションは、日常性という座標軸をあてに出来ないからこそ、とてもスリリングな風景を醸します。
 舞踏の魅力は、そんな危うさの中にしたたかに息づきます。
 舞踏舞台の主題はあくまで「人間の尊厳」を、産まれ朽ち、確かに在るが、環境から鋏で切り取るような概念化を擦り抜ける「体」で、考えることから始まります。


2008/1/1 UPDATE 読みもの
土方舞踏批評 1  執筆:友惠しづね New!
アコギ・ファン 文:友惠しづね
大野一雄氏100歳をお祝いして 大野慶人氏インタビュー
 
聞き手:土方巽舞踏鑑 代表 カガヤサナエ
「南管オペラ」のアーティスト達 文:友惠しづね
台湾での舞踏講習会 -「江之翠劇場」の皆さんと- 文:友惠しづね
糸宇夢(しうむ) 「宇宙の中のひとすじの夢」 文:友惠しづね
舞踏の精髄 文:芦川羊子
My Sweet Lord 文:友惠しづね
眠りへの風景(エイジアン・コラボレーション) 文:友惠しづね
蝶々夫人 文:友惠しづね
南管オペラ 文:友惠しづね

X JAPAN hide(2005年9月25日hide MUSEUM閉館に寄せて)  文:友惠しづね

ビヨンド・ブトー 文:友惠しづね
third eye  文:友惠しづね
振付について ミラーリング 文:友惠しづね
形について・PART2 ニャン子ちゃんへの質問状 生命(いのち)の舞台あるいは近似値的絶対 文:友惠しづね
新宿アートビレッジ 文:芦川羊子
小さな祈り 文:友惠しづね(2004/8/15)

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