舞踏・BUTOHの創始者土方巽を唯一継承、舞踏芸術の発展をめざし、実践する舞踏カンパニー「友恵しづねと白桃房」のウェブサイトです。

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Sunshine of Audience’s Love

文:友惠しづね

夏のバカンス・シーズン、ヨーロッパでは演劇フェスティバルが盛んだ。出し物は演劇ばかりではなくクラシック・バレエ、コンテンポラリー舞踊、伝統芸能、民族芸能、大道芸など多彩である。
招聘団体だけでなくフリンジといって多くの一般参加者で街は二〜三週間、舞台アート一色になる。この期間例えばエジンバラなどは街の人口が4倍に膨れあがる。観客はリュックを背負ったツーリストから家族連れまで幅広い。街ぐるみの大イベントだ。このような規模のフェスティバルはお盆休みが数日の日本では定着し難い(その替わり、日本では文化密度の深い夏祭りが盛んなのだが)。
観客は昼間は小劇場で実験演劇、路上でブラリとボードビリアンの芸、夜はオペラ・ハウスでバレエと気侭に祭りを散策する。
こんな多種ジャンルの出し物が混淆したイベントで、パフォーマー達は嫌でも競い合わされることにもなる。派手なデモンストレーションや前宣伝で鳴り物入りの団体や一発やってやろう的なサプライズを狙った者まで参加者はここぞとばかりに力を入れる。新聞評なども盛んで、五段階評価で点数が付けられていたりする。
あるフェスティバルでの日本からの招待参加者は私達の舞踏の他、野村万作氏の狂言、パフォーミング・アーツのダムタイプと日本では必ずしも客層が重ならないジャンルの作品が向こうでは並列に扱われるためにそれぞれの評価が気になるところだ。また前年度の日本からの出演者とも比べられたりするのでプロデューサーに煽られているように感じたりもする。その時は、フリンジ参加の「東京ショックボーイズ」なる過激なグループもいて、彼等を観たレストランのボーイから「ジャパニーズ・クレージー・クレージー」とゲラゲラ笑われながら接客されたりもした。「私達は別のグループだよ」と言っても、彼は取り入れない。「You are クレージー、クレージー」とはしゃぎまくる。私達も、まーイイカと一緒に笑ったりした。でも、同じ日本人が頑張ってるんだなーと何か嬉しくもなる。
因みに、この「東京ショックボーイズ」、後年、私達のニューヨーク公演でも時期が重なった。海外での同胞の活躍は俄然応援したくなる。いそいそ出かけたキャパシティー七〜八百の中ホール。受付に立つでかいガ体の黒人が厳めしい顔で私達の二等席のチケット(私は普段から観劇する時、場内全体を見回したいために一等席には坐らない)をもぎ取り、ボールペンで席番号を書き換える。何か尋常でない空気が漂う。確か二階席のはずが指定されたのは一階の真ん中。開演間近だというのに、客席は閑散としている。十分の一くらいしか入ってないのでは。(どうなっちゃっているのだろう)、しーんと静まる客席は緊張の糸が張られているようだ。
「これで、始まるのかなー」と横に坐る芦川に呟くように言うと、「これから(お客さんは)入るのよ」と半ば自分を納得させるように彼女も引きつった顔で応える。同じ日本人として他人事ではないのだ。先程、無愛想だった受付ボーイにもこの公演の惨状が伝わっていたのだろう。公演の評価は出演者だけでなく、関係者全ての人の気になるところ。観客動員に直接関わる新聞評なども酷なものだったのではないか。
開演ブザーが鳴り、客電が落ちる。「南無妙法蓮華経」とか習字で書かれた垂れ幕が掛る舞台の中央前面に、和服姿の出演者が一人正座し、客席をゆっくり見回し落語家よろしく扇子の尻で床を叩いて、悪びれる風もなく、静寂を堪能し手前勝手に受け流すように、客を言い含めるように、自分に言い聞かせるように、剽軽に、それでいて寂しげに、一言。
「(観客が・・・)少ない」
この諦観にも似た一言で、それまでの場内に張りつめた緊張が瞬時に解ける。客席のアチコチに坐る私達も含め日本人の客が大笑いする。こうなったら少ないと謂えども客席の日本人は応援しまくる他ない。(行け行け、やったれだ)。
「目から牛乳」とか「おでこに缶ビール」やら訳の分からない芸にも、(いいぞ、頑張れー)と惜しまない声援。
恐らく、彼等も東京での公演では、このような惨劇(修羅場を潜って来ているだろう彼等には何ということはないのかもしれない)は経験しないだろうし、私達も観に行くこともなかっただろう。日本人の海外での異文化コミュニケーションは、己との文化的差異を推し量らないととんだ目に合いかねない。その実例である。
かといって、海外とコネクションが持てたからと、己の実績を優越性として同じ日本人に誇示する人は好きになれない。嫌な奴だ。戦後、進駐軍に媚びを売り同国人を見下した輩と変わりない、とは戦前生まれの私達のスタッフの一人の言だ。
海外の日本人の中にはこのような輩が目に付く。日本人同士なのに英語で話しかけてくるんじゃねーよ。グローバル時代に「日僑」というネットワークが育たない所以であろうか?

日本で観劇というと、入場料も高いし観客にとっては特別なイベントという感があり、またジャンルによって客層が偏るが、フェスティバルに限らず海外の舞台アートは客層が広い。
私達の公演でも家族連れや仕事帰りの労働者、子供からお歳を召した方まで幅広い。
東京でそれなりの観客動員実績を持つ日本の小劇場演劇のグループやパフォーミング・アート・グループの多くが、「子供相手」との評価を受けるのも、観客の観劇に対する姿勢と日本での限定され過ぎた客層に起因する。
以前、海外公演も企画するプロデューサーから「(東京で評価されたパフォーマンス・グループが海外で)なぜ、上手くいかないんでしょうか?」と質問されたことがあったが、呆れて物が言えない(プロなら一瞬でわかるはずだろう)。
こんなこともあった。私達が気分が乗らないから逸早くキャンセルしたパリ公演(そのアート・ディレクターは東京での面会に主宰者の私が会いに行かなかったことで立腹していたようだが、誰もが尻尾をふる訳じゃない)に喜び勇んで行ったモダン・ダンス系のパフォーミング・アートのグループ。観客と批評家から虐殺されるなんてことは夢にも思ってない訳だ。その後そのグループ、シェアーを東京だけに絞って活動してるようだが無難な表現は底も透けてくる。別にアートに限ったことではない。

日本人の海外公演の場合、言葉の違いがネックになる場合も少なくない。海外で活躍する演劇団はシェイクスピア、ギリシャ悲劇など、既にプロット、シナリオが観客にインプットされている作品を上演するところが多い。観客には日本語が伝わらなくても察しが付く訳だ。そこでは演出と役者の存在感がクローズアップされたプレゼンテーションとなる。これも一つの文化交流の在り方だろうが、一抹の寂しさが残る。

本場欧米で評価されるモダンダンサーは少ない。コピーの域を脱する個性を発揮するに至るのは日本人にとっては難しいのだろうか。同じ東洋人でも台湾文化の独異性をその表現に器用に織り込む「クラウド・ゲイト舞踊団」などはユニバーサルな評価を得ている。
最近では、日本のモダンダンサーがその表現を「舞踏」と評してプレゼンテーションする人も出ている。確かに今のところ「舞踏」という名称が括る表現領域は曖昧なままである。その状況に甘んじる節度ない振る舞いをする輩も多い。例えば、興行成功のために「西洋から観た日本」のイメージに自ら擦り寄るような輩もいる。「芸者」「富士山」「南無妙・・・」で日本人を表象するのはお笑い芸人と代わりない。如何に西洋化した日本と謂えども、そこに住む日本人として恥ずかしい。
既存の表現スタイルとの差異を表明するために名称を替える行為は持ち前の表現スタイルを卑下する安直な方法と映る。日本のモダン・ダンスとして誇りを持って立ち向かって欲しい。先程の「クラウド・ゲイト舞踊団」は自国は勿論海外でも西洋舞踊として活動している。それが何故か、日本の批評家には彼等を「舞踏」と謳う者も現れているが、何と最早、日本の批評精神の薄弱さを表しているようにしか受け取れない。当の彼等は舞踏に対しても反骨の姿勢を貫いているというのに。

舞踏が日本発の舞台アートとして欧米で認知されて久しい。海外のアート・シーンにも大きな影響を与えている。その理由の一つがノンバーバルな表現形態であることは既に述べた。いま一つの理由として挙げられるのは、自国文化に立脚し、それを表象しようとする側面を持ちながらも、地域の生活に根差す民俗性や血統を重んじる伝統芸能の持つ独占性に馴染めない特色を持つことにある。表現においてもシステムにおいても自由の分量が多い訳だ。
舞踏は歴史が浅い。'60年代、都会人と地方人が混淆する東京で生成された(目黒川で産湯に浸かった私も下町と湘南のブレンド)。この点、海外の舞踏に対するイメージとギャップが生じている。彼等の中には舞踏に日本民族のアニミズムを見出そうとする人が少なくない。その誤解に便乗するように歴史の国日本の太古を舞踏のエレメントとしてプレゼンテーションする者もいる。
表現者が自国民族の歴史に創作のモティーフを求めることは珍しいことではない。ただ、その体現者として振る舞うことは如何なものか?ジャワのケチャやアボリジニなどの民俗表現に注目が集まっていた時代である。舞踏表現にも文化人類学が着目した視点を類推しようとする観客の指向があったことは事実である。その舞踏家に日本の太古を体現しようという強い意志があったのなら他人が兎や角言うことではないかもしれないが、そうでないとしたなら表現者としての真実、舞踏の心は踏みにじられていることになる。「民俗学の学的体系の不備に乗じた火事場泥棒のようなもの」として「あの恐るべき消費的芸術である舞踏も、・・・世界に害毒を流している。」('85「舞踊の芸」武智鉄二)との批評も的を射ていると言わざるを得ない。
海外では舞踏に深い精神性を求める向きもあるが、日本では些か事情が違ってきている。後楽園遊園地のお化け屋敷に出演している舞踏団がある。ディズニーランドのお化け屋敷より花屋敷のそれに郷愁を感じる私としては、生身の舞踏家が出演するこの催しは楽しめはしたし、また、生活が掛かる同じ舞台人として好感も持てたが、舞踏はそのパロディーの要素まで包含していこうとする無節操な振る舞いとも映った。既に、本人の中では舞踏とそのパロディーを分かつ境界はないのではないか。

土方は彼が子供時代を過ごした戦前の「東北」をアート表現のモティーフにしていたとされる(実際の創作の内情はまた違ってくるが、そのことは残念ながら現友惠しづねと白桃房の正式メンバーのみが知ることになる)。
土方が「東北」を象徴にした貧困、身売り、障害者という社会的弱者の惨状を「暗黒」としてアートのパワーとし得たのは、高度成長期を迎える経済と加速度的に欧米化される日本文化の変容の最中であった。しかし、背伸びしながら欧米人を気取ったところで彫りの深い顔立ちになれる訳ではない。憧れの裏返しの劣等意識を穴埋めするには西洋的観念を取り入れたシュールな日本的フォークロアがフィットしたのかもしれない。
当時の土方の舞台では素人ダンサーに遊女や障害者を真似させた振付けをしていた。見てくれが先行し内面が伴わない粗暴な振付けと言わざるをえない。世界人権宣言が採択されたのは1948年。
昭和三十三年に売春禁止法により赤線、青線は廃止され、女衒といわれる人材派遣業者は表から姿を消していくが、戦後は終わっていないとも云われ、都会と地方の文化的格差意識は根強いとの印象は払拭できていなかった。それをテーマにした流行歌は演歌だけでなく'70年代に入っても「木綿のハンカチーフ」など今で云うJポップスでもヒットしている。しかし、田舎娘の純情をアピールする松本隆氏の歌詞('60年代のボブ・ディランの唄からの盗作問題が取沙汰された)はかまとと歌手とシンクロすることで成立しえたもので、時代錯誤の感は否めない。率直な感想だ。
現代というグローバル時代、土方の「東北」は何を意味するのか?当時の土方のアート表現も既に実時間とは乖離していた。そこに説得力を持たせるのに東京と東北という地域の距離がカモフラージュ(「土方さんのは東北じゃないんだよ」とは土方の東北公演の現地プロデューサーの言葉)としての役割を果たしていることになる。
今日、戦前の日本の遊女を連想させる人々が日本で虐げられた生活を送っているのは厳然たる事実だ。人材派遣業者は東南アジア、ロシア、イタリアなどの貧困層をシェアーにグローバルな活動を生業としている。この現状に時間差はない。目の前の事実だ。
グローバル時代に生きる舞踏家に課せられた役割とは何なんだろうか?アートの表現、モティーフは元よりその理念を改めて考えさせられる。
加速するネットワーク速度の中で多様な情報に晒された体は何を指向するのか?簡単には括れないことだろうが、特にそれぞれの実人生をもろに体現せざるを得ない体アートは一部の愛好家の観念やコンセプトの愛玩物に甘んじている暇はとっくになかったということなのかもしれない。

生活にしろアートにしろ表現という行為は、意識するかしないか如何に関わらずそれが表現される対象を想定している。表現とは常に何者かに向けてのものである。呪術性を持つ表現でも、それは人間の延長に対している。
流通を考えた表現の場合はマーケティング・リサーチによるシェアー内の人々に対してであろうし、プライベート性の高いものは特定の個人であるか若しくは自分自身であるのかもしれない。
私も舞踏作品を創る時には、表現される人=観客を想定する。観客代表みたいな人を数人、思い浮かべている。想定した観客と実際の観客の間に齟齬があれば結果は演出家の思惑とズレてくる。
私達は舞台アート界ではダントツに多彩な実験作品を創り続けてきたと自負しているし、また本作品(私の入念な稽古を受けた踊り手により、私の構成、振付け、演出、作曲音楽による作品。私の稽古を厳しいと批判する方もおられるが、踊り手達の潜在的な個性を引き出し謳歌させることを目的にしたそれは、共演者間の共有感覚を相乗させながらも個々人の人生の喜びに直接繋がるものである。疲れていることも忘れる程楽しい。そんな境地の持続からこそ舞踏の面白さが産まれる)でも世界の由緒あるフェスティバル(それに参加するのは実はスポーツ選手がオリンピックに出場するよりも確率が低い)やステージで絶賛されてきていた。それにより私は自身の創作能力は完成の域に達しているとの自信も培われていた。過去に取り縋り超保守化していく業界からの妬み、嫉妬や政治的思惑からの怠惰で傲慢な振る舞いなど、自分達の創作への熱望と矜持が掻き消してしまうのに手間はいらなかった。
ところが、海外でのある公演が終演し笑顔でざわめく観客を会場から見送っている時、フと一つの想念がよぎった。今にして想えば、それこそ真に天啓なのかもしれなかった。
『私の想定していた観客というのは、実は自分のご都合により生み出されていたのではないか?』
確かに目の前の公演を成功させることは舞台人の第一のミッションである。人様とのコミュニケーションに誠意を尽くすことが悪かろうはずはない。また、現代の劇場は広く市民に解放された場だ。白人からロックンロールの神様と謳われるチャック・ベリーは子供の頃、その肌の色の違いにより観劇を拒否されたそうだが、今はそんな差別主義も薄らいでいる。劇場での公演という形態のコミュニケーションはフェアーで開かれたそれであると信じていた。まさか、自分のアート観、人間観が閉塞していたなどとは想いもよらなかった。
自分が恥ずかしくて、それを言うことも憚られるし、また、それを口に出すことが既に不遜を表してしまう。しかし、これからも金や名誉(自分の名前を残すためなどと平然と公言する舞踏批評家や、そのおこぼれに預かろうとする舞踏ゴロで溢れる業界には、もはや言葉がない)よりも好きでたまらない創作を続けるには、敢えて自責の念を吐露する他ない。

私が産まれた時からの知り合いに目の不自由な方が一人いる。父が経営する工場で働いてくださっている方の奥さんだ。私がライブに出演し少しばかり活躍すると喜んでくれたり、電話口で彼女の声を聞き「○○さんですね。少しお待ち下さい」との私の反応の早さに「声を聞いただけで私のことを分かってくれた」と泣き出すような人だ。ところが、私は自分が想定する観客に彼女を、目の不自由な人を入れたことはなかった。よくよく考えれば障害を持って生きている方を観客として想定したことなどなかった。私とは何と不遜な奴だったんだろう。それに気付いた時、完璧な舞踏舞台の創作術を会得しているとの驕りは根底から消し飛んだ。
人様に表現とやらを行使する自分を戒めるために、「友恵しづねと白桃房」結成の翌'88年には八王子の老人ホームでボランティア公演をさせて頂いている。しかし、自分の活動は特権者の嗜好である「お芸術」の範疇を抜け出ていなかった訳だ。そのことを想い知らされた。
舞踏とは人間の根源性にダイレクトに関わる一つの普遍的コミュニケーション形態だと信じているからこそ、一生その身を任せて悔いないはずのもの。しかし、私が体現し完成させた舞踏創作術など典型的な差別主義に基づいたものに過ぎなかったのだ。舞台人として、人間として恥ずかしい限りだ。しかし、その気付きは新たなより豊潤なコミュニケーション・メソッド開発という幸せな目的を与えてくれることになる。
私の提案にカンパニーのメンバーは快く同意してくれた。目先の欲に取りすがり権謀術数に明け暮れる業界の汚さに辟易させられていたことも手伝ってか、元々、そういう人達なのか、みんな欣喜雀躍。いつでも大いなる夢を持つことは、ただそれだけで何ものにも代え難い幸せを垣間見せ、躍動し続ける個性という未知の力を引き出す契機を与えてくれる。
ところが、実際に活動し始めるや難題に直面し続ける。まず、受け手側に「やらせて」と言ったからといって「いいですよ」とはいかない。こちらに実績がある訳ではない。「どんなことやるのか?」、受け手側も責任があるし、慎重にならざるを得ない。だけど、熱意を示せば引き寄せられるように導かれる。
出演者と観客が喜び合えれば、両者の関係は必然となる。勿論、相互理解のために絶えざる勉強は必要だ。それも楽しくてたまらない。打算がない人間関係から始まる行為は、ペルソナの陰にひょっこり隠れていた喜びの種を芽生えさせる。
そして、出逢うべき人と出会い、やるべきことが向こうからやってくる。
秋田の聾唖学校でやらせて頂いた時だが、そこは何と土方の生家の近所。「縁」を感じもした。
厄介なのは、私の硬直した頭だ。観客を想定仕切れないということ。「ひとの身」に成るということは至難の技(わざ)。取り敢えず想定したとして、実際の作品創りが難しい。ボランティアの舞踏公演の場合、モデリングする先人がいない。いつも観念だけが空回りしているだけなのでは、という不安が付きまとう。それでも何とかこなせて来られたのは、観客の親切によって成せる技。
時に舞踏メソッドは最良のコミュニケーションのための一つの魔法に化ける。お互いが願い合うことで、やっとの想いで伝え合う何かがある。効率重視のマニュアルとは違う。

「ここまでお出で」。走り出た縁側から悪たれを付く私に、「憎たらしーったらありゃしない」と下半身不随の祖母が寄り掛かっていた茶箪笥から身を乗り出して怒鳴る。オー、何と微笑ましい光景なのだろう。尤も、両者の関係は、私の喘息の発作時に劇的に転換するのだが。
私がおばあちゃん子であることや、メンバーの一人が介護士の資格を得ていることから、老人ホームや介護センターでの公演では自然と親和もし易いのだが、小学生相手だと、どうも掴み切れない。最近のガキは妙にこまっしゃくれやがって。「舞踏は初めて観ましたが、勉強になりました」などという感想文を頂くと、喜び以上に慰められている気分になって、思わず溜息を漏らしてしまう。子供に気ー使われてどうするの。あいつら産まれた時から情報量多いからなー。否、自分達の力不足。・・・ぼやきはさておき。

私の主宰する舞踏カンパニーは、舞踏のイメージ特有の白塗りメイクをしていない。コミュニケーションにおける虚飾を、そうそう簡単に受け入れるつもりもないからだ。白塗りメイクはそれだけで非日常性を表し、観客を謂れの無い幻想に誘う。この効果を利用すれば、出演者に野方図な存在感を与えることができる。照明のハレーションによって実際に膨張色の白は人物を大きく見せもする。ただ、この効果というのが曲者で、人それぞれの微細で深みのある個性を一括りにしてしまう。確かにノン・メイクで舞台に晒された生身の体は観客に存在の脆弱さを露呈するリスクを請け負いもするが、私達は敢えて、挑んできた。何事も安直な道を選ばないことで得られることの中に人生の醍醐味が隠されていたりする。現に、素顔での表現ゆえにボランティア公演実現のハードルが幾分低くなっている。正に、このためにこそ私達が馴れない大劇場でも大変な思いをしてまで貫き続けてきたノン・メイクが生きてきたとも感じられる。

それぞれの個に潜む想いの丈が個というペルソナを半ば素通して、浸潤し合うようなコミュニケーションは、どんな時でも輝いてしまう。母親に抱かれた幼児の表情、ベンチに寄り添う初心な恋人同士の解けたような絶妙な体つき。存在の奥深い歓喜から導かれる関係は、いつでも不用意で、そのくせ絶対的な確信を備えている。
互いをどこまで信じ合えるか。そんな有り触れた切ない想いを身を持って成就するためにだけ人は産まれてきたのかもしれない。

 

2008/7/21 UPDATE 読みもの
Sunshine of Audience’s Love 執筆:友惠しづね New!
デス・エデュケーション 執筆:友惠しづね
土方舞踏批評 1  執筆:友惠しづね
アコギ・ファン 文:友惠しづね
大野一雄氏100歳をお祝いして 大野慶人氏インタビュー
 
聞き手:土方巽舞踏鑑 代表 カガヤサナエ
「南管オペラ」のアーティスト達 文:友惠しづね
台湾での舞踏講習会 -「江之翠劇場」の皆さんと- 文:友惠しづね
糸宇夢(しうむ) 「宇宙の中のひとすじの夢」 文:友惠しづね
舞踏の精髄 文:芦川羊子
My Sweet Lord 文:友惠しづね
眠りへの風景(エイジアン・コラボレーション) 文:友惠しづね
蝶々夫人 文:友惠しづね
南管オペラ 文:友惠しづね

X JAPAN hide(2005年9月25日hide MUSEUM閉館に寄せて)  文:友惠しづね

ビヨンド・ブトー 文:友惠しづね
third eye  文:友惠しづね
振付について ミラーリング 文:友惠しづね
形について・PART2 ニャン子ちゃんへの質問状 生命(いのち)の舞台あるいは近似値的絶対 文:友惠しづね
新宿アートビレッジ 文:芦川羊子
小さな祈り 文:友惠しづね(2004/8/15)

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