舞踏・BUTOHの創始者土方巽を唯一継承、舞踏芸術の発展をめざし、実践する舞踏カンパニー「友恵しづねと白桃房」のウェブサイトです。

Serch
 


KOREAN→|profilelive

HOME
舞踏・BUTOH TOPICS
新着!ムービー・読み物メニュー
 (インタビュー、ライブ、稽古)
舞踏ワークショップ案内

舞踏の顔表現
友恵の舞踏演出スナップ
日韓コラボレーション
華道とコラボレーション
作品「蓮遥」 詩と写真

友恵しづねと白桃房
プロフィール
舞踏公演履歴
テレプレゼンス公演
共演アーティスト
ゲスト講師

お問い合わせ
リンク


小さな祈り

文:友惠しづね

 私の足はそれこそ見事ながに股である。遺伝のせいなのか、長年従事してきた仕事が鋳物屋のせいなのか分からない。だが、弟や妹より彎曲度が大きいことは事実だ。妹などは暇さえあれば手で、揃えた膝を外側から押し込む仕種をしていた。真直ぐな足を嗜好し整体法、整体業が興隆する世相に逆行するようで誠にもって生き心地が悪い。
 所謂3Kと呼ばれる鋳物屋のその仕事は、材料によって違うが千度前後の溶かした金属を炉から湯汲み(溶けた金属を入れる器)に汲み入れ、砂型の小さな湯口に流し込む。溶けた金属は急速に温度を落とし続けるため、一連の動作は素早く行わなくてはならない。また湯汲みの操作はミリ単位のズレが生じても中の湯がこぼれれば下手したら爆発する。勿論湯と湯汲みを合わせた重量は金属の種類によって違ってくるが二十キロ程ある。大変重い。力だけで処理しようとしたら体を壊す。
 足の裏はベタ付きでは駄目だ。足首は柔軟に、膝に全体重が掛る。その下半身に溜めた力を『臍下の一点』を支点として湯汲みを持った手、腕、上半身の動きに絶妙に配分する。上半身はその都度流動的な状況から必然的な動きを導き出すために下半身に更なる力を要請する。膝には増々体重が掛る。
 気が付いたらがに股になっていた。日本の製造業の極端な不況のため、私に対する両親の「家業を継がせる」という願望は数年前に脆くも崩れた。にも拘わらず私のがに股は治らない。プールには行かない。幸い私の体躯は細いので、少し緩めのスラックスを履けばカモフラージュできる。ばれてない。
 うちの(舞踏団の)メンバーの足は、現代日本人の標準型と言っていいのだろう、皆真直ぐに近い。特に女性陣は土方時代以来ハイヒールを履いたまま踊るショー・ダンスの仕事をやっていたこともあるせいか、膝への体重の掛け方を知らない。下半身の力(力点)を上半身の動き(作用点)に移行させるための支点が『臍下の一点』より少し後ろにずれている。そのために下半身と上半身が効率良く連動せず、下手すると下半身と上半身の存在が分離してしまう。上半身だけの体の表現は視覚、聴覚、嗅覚等上半身に属する感覚器官を力によってではなく観念によって操作しようとする。そのため、体の表現は陶酔的には(観客に)見えても踊り手が自身の体自体を覚醒(体と環境を流動的に管理)することは難しくなる。

 70年代から80年代の土方舞踏の変遷は、それ以前の実験性、挑発性を排除し、自身の「舞踏概念」の確立に奔走してきたように見受けられる。
60年代のモダン・ダンスに発する前衛舞踊表現と、土方自身が命名した「闇の舞姫」たる(現・友恵しづねと白桃房の団員)芦川と伴に形造ろうとしてきた舞踏とは根本的に異なる指向を有していた。
舞踏の形、動きを表徴しているという「がに股」は日本民族国家の文明(職種の分業)化に伴いある職種の日本人の、生活のためにその風土と効率良く共生することによって実利的に育まれた体躯の特性である。日本人一般ではなくある職種の日本人と限定したのは、例えば、十二単(じゅうにひとえ)を羽織った貴族女性は果たして「がに股」であったのか?ある時代(着物文化)の日本女性の美の表徴であった「小股の切れ上がった女」、「柳腰の女」は「がに股」であったのか?とても、そうは思えない。確かに私のような職人、農業を生業としていた人々には自然に身に付いた体躯であったのかもしれない。だが、「がに股」は日本人皆を表徴してきた体躯ではない。私自身は既に「がに股」である。それがDNAによるものなのか、生活のために変形したものなのか分からない。言えることは、年齢を経てから趣味、道楽で職人、農業人の真似事をしたからといって、そうそうは体躯は変わらない。生活が掛かるから変換(かわる)のだ。舞踏界にはプレゼンテーションのためにポーズを取る人もいるが、体を見れば一目でわかる。
 「がに股」は単に膝の形に関わるものではない。足首の柔軟さ、上半身と下半身のバランスをとる『臍下の一点(鉛筆の太さ程)』、背骨のたおやかな流れ。肋骨との隙間に創造的仕草を産み出すための肩甲骨の浮遊。体の部位全てに連動させて捉えなくてはならない。
 体は己のテリトリーにイメージを湧出し続け、共生する環境(例えば、共演者、舞台空間、音=光のテクスチャー等)と混淆し、そして己の体と共存する。「がに股」は日本的美概念の一翼を担う日本人の体躯の確かなる表象である。ある種の日本的美空間を扱う身体表現を行使するには「がに股」は圧倒的に有利な体躯だ。必携とも言える。だが、日本の美とは、それだけではない。


 私以外の「友恵しづねと白桃房」のメンバーに「がに股」はいない。皆、足はすんなり伸びている。勿論、正座くらいは日常の佇まいとして備わっているので、少しばかり膝は出ている。
 身体の支点となるべき『臍下の一点』を識らせるべく、今までに色々な稽古を試みてみたが、一瞬感じることは出来ても、身に付けることはとても難しい。
 当たり前のことだ。体躯は生活が創る。では踊るための体躯を創るための方法は無いのであろうか?
 私は一時期、西洋人を主要メンバーとする舞踏グループ「グノーム」(舞踊批評家の故・市川雅さん命名)の公演を幾多主宰してきたことがある。テーブル・椅子文化に骨の髄まで培われた彼等西洋人の多くの足の膝は微塵も出ていない。ある公演で古典芸能批評家であり歌舞伎作家であった郡司正勝さんに「外人でも舞踏は出来る」と の評を頂いたことがあったが、残念ながら西洋人舞踏公演は彼等の体以外の舞台要素に負うところが多かった。私という当時の演出家=振付家、照明、音響プラン担当者が言うのだから間違いはない。
 彼等は皆初心者であった。それだけの理由なら日本人と変わらない。
 体躯の差なのか?
 もし、そうなら、それと知って彼等と付き合う私は詐欺師であろうし、舞踏は日本という文化の範疇に括り尽くされ、人間という広大な世界との命の交歓を自ら閉じてしまうことになる。
 私共は海外公演も多く経験してきたが、身体表現によるその土地、土地の観客との交歓は言語のハードルをあまりにも自然に乗り越えてきたと実感している。少なくとも観客との間では身体的コミュニケーションの地盤は共有していた。だが、日本人と外人の体躯は、見た目においては明らかに違っている。また、舞台、生活における身体感覚にもズレがある。体と心との関係・・・。
 舞踏とは何か?
突きつけられ続ける問い。生きる躍動のなかで生きた心地もしない。
(だから、舞踏は面白い)と、胸を張って言う他ない・・・

 人間と環境を連続的に捉える世界観は日本の太古より生き続ける八百万(やおよろず)の神々や、それらとコラボレイトして広まったアジア伝来の仏教、道教により、日本人には親しい。ところが戦後、日本人が憧れ続けた一神教を基とする西洋思想の構造は日本のそれと根本的に異なるとの観念はもはや自明となっている。
 体と心、体躯と精神構造の関係は、人間を探求する上で、人類というスケールで観るならば、まだまだ産まれたばかりの設問なのだろう。
 近年の日本人の体躯も変わり続けている。しかし、劇的というには程遠い。
 では、西洋人との身体的距離が、一見その差異を判別するのが難しい程、日本人に近い韓国人を始めとするアジア諸国の人々との精神的なズレとは何か?文化の進化度などという傲岸な観念や選民意識など束の間でも持とうものなら両者の関係は硬直化し、悲惨な末路を辿ることは幾多の歴史が教えている。私共はアジアのアーティスト (ミュージシャン、美術家)とも「エイジアン・コラボレーション」と銘打ち幾度か共演してきている。基本的には自然であった。何時も通りである。しかし、私自身が戦後以来の輸入西洋文化に感化された日本人の特質を具現する一人であったのだろう。西洋人との共演より喉に閊(つか)える何かを感じた。
 私共が初めて日本に正式招聘した韓国のジャズマン(サックス奏者)カン・ティーファンさんとの共演時のことだ。彼は韓国ジャズの嚆矢的存在であったが、アメリカン・ジャズから脱却し、韓国独自のジャズを模索する前衛アーティストであった。薬屋で生業を成すカンさんは「朝起きるとサックスの練習をし、寝る前には瞑想」を欠かさぬ、という生活をしているという。修行僧のような結跏趺坐?胡座の姿勢でサックスを抱え特殊な呼吸法の「ノン・ブレス奏法」を駆使する彼の音は、西洋人と明らかに違う。そして日本人のジャズ・マンの音とは、その地域的、身体的差異が西洋より近いことから逆に尚更に際立つのかもしれないが、強かなズレを感じた。民族的魂の根源的な違いから来る何かかとも思った。
 韓国はいまだ儒教的モラルを色濃く残す国と聞いている。
「戦後、日本が経済成長のなかで失ってきた大切なものを、失わずいるのではないか」と、言う人もいた。
 体と心が密接な関係にあると考える私は、彼と共演するために自分の体を一度分解し、組み替え直した。ギシギシという音が鳴った。
 酒もタバコも嗜(や)らないカンさんに飲み屋で「あなたの演奏のメソッドは?」と聞いてみる(お互い英語で会話するのが情けない)と、
「メソッドは後から出来る」と、彼は言った。
「形は後から追い縋る」土方の言葉である。
 グローバル・コミュニケーションが叫ばれて久しいが、自身の地域性、民族性、国民性を尊重しながらも、より開かれた自己の確立が求められているが、その多様な自己の形にアイデンティティーはどの様に住うのか?人間の佇(たたず)まいにグローバル・スタンダードというフォーマットがあるとしたら、如何なる居住まいなのか?
 舞踏とは何か?・・・再び、身に迫る、設問。
 あまりにも多様な座標軸に対して、夢を見るのも疲れ果てる。
 一人では何も出来ない。
「想いが形を創る」私が自分が主宰する舞踏グループのメンバーに言い続けている言だ。
 ところで、私の足は「がに股」だ。グループのメンバーで唯一人の「がに股」だ。
 多分に西洋舞踊のコードに照合された、現代日本の身体アート・舞踏の特色として、ある種の人たちに宣揚された体躯である。
 ただ、それは・・・形の、一つである。

 今年、秋田県の聾唖者の学校で公演と講習会を催す機会に恵まれた。
 聾唖者の学校で舞踏を演らせて頂くことは、私の長年の夢であった。それが今回、ある縁で実現の運びとなった。生徒さん、その父兄、学校関係者の方々には深く感謝したい。
 公演には幾つかのネックがあった。通常の劇場公演での私の演出は調光器(舞台のために設置された照明の光度を管理する機材)、ミキサー(舞台に流れる音の状態−音場を管理する機材)のフェーダー操作(光度、音量・音色特性を増減させるためのスライド式コントローラー)をミリ単位で行っている。この操作は踊り手の体の状態、劇場の温度、湿度等日日変わる舞台構成要素で大きくかわる。観客と舞台を自然にコミュニケートさせるための必須の要素である。
 眼前に展開する舞台と呼応する観客には必要以上に感じさせてはならない照明、音響作業は踊り手と同じように(大げさにいえば)命賭けである。勿論、出演者と裏方の絶妙なコンビネーションを要求されるのは、他の舞台(例えば演劇、ロック・コンサート等)アート作品にもいえることだが、言葉を使わない(その分舞台の構成要素が少ない)身体アートの場合は尚更である。特に私共の直接の師であり、私共が唯一受け継ぐ土方舞踏では光と音は舞台の大変重要な要素を占めていた。しかも、土方の場合は公演会場を極端に限定するきらいがあった。
 例えば、東京・渋谷の今はなき「ジァンジァン」という変形ライブ劇場(客席が正面と上手の二方に分かれていた)などは、「ここは、舞踏の場所ではない」と避けていた。舞踏の場の選別には多分な気遣いを要する時期もあった。
 ただ、私は「ジァンジァン」も含め、バブル経済時に雨後の筍のように出来た多目的ホール(無目的ホールと揶揄されるように、一見便利なようでその使用はやっかい)等にも積極的に出演した。そのお陰で私も踊り手も随分鍛えられた。
 当時の土方の抱えていた団員(今、私の処にいる踊り手も含めて)は皆下手だった。半年もあれば誰でも出来る初心者級のスキルしか持ち合わせていない。
 土方舞踏の母体となり、他の踊り手と格段の差を示し「闇の舞姫」と称された芦川でさえ、その舞踏身体のスキルには大きな欠落(長短表裏と云えなくもない)があった。・・・が、「友恵−土方舞踏」の根幹に関わる身体スキルの問題は別項に譲る。

 秋田県立聾学校での公演は学校の体育館で行われた。 
 体育館は初めてである。照明は体育館常備の付けっぱなしの水銀灯のみ。
 耳が不自由だと云われている方を前にして、ミリ単位の音響操作など演出上当てに出来ない、と・・・私は思う・・・他なかった。
 難しい・・・。
 それまでに、うちのメンバーは東京の聾唖学校の授業や学校祭などのイベントを参観させて頂いていた。また、数ヶ月前には別のメンバーがベトナムの聾唖学校の民族舞踊のクラスの生徒さんたちに踊りと講習会を催させていただいていた。
 学校による教育方針の違いは地域差を含め一様でないことも分かっていく。
 だが、(人はおいそれと他人の身になれない)。幼い頃から喘息を持病として持つ私には、身につまされ続ける思いがある。

  体のコミュニケーションに言葉=音はいらない。

 今にして思えば、大変失礼な話だが、稽古始めの頃、私は音楽無しで自らの作品をメンバーに踊らせた。しかし・・・作品は、全く成立しない。
 同じ身体アートでも、例えばモダン・ダンスなら、元々リズム・メロディーに呼応する手足や体のそれと分かる動きと形で、音楽が無くとも踊り手の意図は伝わり安いのかもしれない。人や生き物の仕草やオブジェから動きと形を導き出すパントマイムは観者と演者の間には日常性という共通地盤がある。
 ところが舞踏は違う。舞踏は心や観念のような(見えないイメージ)と(見えてしまっている体)とのダイナミックなコラボレートをこととする。イメージは時に体を襲い、時に体をすり抜ける。体は見た目の輪郭線に片時も納まることはない。そんな世界で音楽=音は時間の箍(たが)から解放され、時にイメージとして環境に佇み、時に体に寄り添う。音楽=音は舞台の大きい要素を占める。時に緩慢にしか動かない舞踏の体(舞踏体)が「弛まず躍動し続ける」と言わしむる私共の舞踏公演本来の魅力は、実は音楽=音が欠かすことが出来ない重要な舞台要素となっていた。
 適切な音楽=音が共存しなければ、存分には成立し難い「友恵−土方舞踏」。
 その程度のことしかやってこなかったのか?と言われれば、返す言葉はない。
 
  方法はないのか?

 踊り手の体で音楽を、若しくはそれに変わる表現を加えればよい。(その時の私は耳の不自由な方の音に対する感覚を画一的にしか捉えられていなかった。謝罪しなければならない)。
 何時ものようにメンバーの前で私が手本を観せる。簡単な方法である。環境=舞台空間に体と同居するイメージに更にイメージさせればよい。例えば、体を取り巻く花畑の花たち(ここまでが環境内に現れたイメージ)が、それぞれ己の個性を謳歌するように時には身勝手に、時には呼応するようにはにかみ、微笑み、こう笑する(これがイメージがイメージするということ)、というように。ここまでやれば、音無しでも舞台は多様に充溢し、観客と自然なコミュニケーションを成立させるための地盤が出来る。
 ところが、メンバーは誰も私のようにはいかない。『がに股』ではないからだろう。
 何時もは、舞台上の他の要素(音楽=音響、照明、美術等)でフォローもしてきたが、今回はそうはいかない。幸い、舞台を地の利で見るならば、公演は行っていないが、私共は一時期、狭い自宅稽古場で賄えない公演準備のために小中学校の体育館は毎週のように百数十回借りていたことがある(稽古の度の美術、音響機材等の搬出入には辟易したが)。そういう意味ではお手のもんだ。始業式や卒業式で校長先生が挨拶したり文化祭や学芸会で使用する、上部に校章がプリントされ赤いベルベット地のさがるプロセニアム・アーチで括られた御大層な舞台を敬遠する術は心得ていた。客席と舞台が一体化する小劇場出身の私共では至極当然の判断だ。では、何処を舞台とするのか?バスケット、バレーボールのコート枠をカラー・ペインティングしてある体育館の床である。そこに新たにカラー・ビニールをテーピングし舞台と見立てる。迷いは全くなかった。風通しがよい舞台である。大きい稽古場を持っていなかったのは、全て今回の公演のためだったのかと合点がいった。人生無駄なことは一切無い(たぶん?)と改めて思った。
 秋田県立聾学校の先生、父兄の皆さんの寛大な御協力という「人の利」。(協力態勢に支障がある場合、公演は上手くいってもお互い後味の悪さを残す場合があり、私共はなるべくそうした仕事は受けないようにしている)。
 体育館という「地の利」。
 後は・・・「天の利」。(これは踊り手自身の技術もさることながら、それが依って立つ人間力がものをいう。踊りの技術に余裕は禁物である。既存の技術を当てにすると、なぞらえの気持ちが生じ安くコミュニケーションはダイナミズムを失う。一期一会は過去を模倣することなく、その都度新たな方法を模索してこそお互い有意義な発見を産み出す。コミュニケーションにおけるそうした謙虚さこそ、お互いの間に未知の領域を創り出し、其処にある必然が芽生える・・・もしかしたら天?の声かも)。
 「天の利」「地の利」「人の利」、中国で国家安寧の思想として広まり日本の政治・文化にも広く浸透してきたが、舞台アートの美意識にも当て嵌まるものと考える。私の場合(舞踏という前衛文化に身を置く)、それぞれの言葉に課す定義は多少ズレてくるはずだが・・・。

 今回、主賓となるお客様は乳幼児から高等部専攻科の幅広い年代層の児童、生徒さんたちである。ましてや、押し売りのように売り込んだ企画である。学校の行事ということで、有無を言わさず観劇させられたと感じている人もいるのではないか。「分からない」「つまらない」「恐い」と言って泣き出す子がいたらどうしよう。
 現代アートをこととして生きてきた私共である、何時もと観客の質が明らかに違う。皆純粋なのだ。(多分にモードを意識した)美として錯綜させたコード遊びなど通用しない。ストレートだ。望んでやることとはいえ、改めてゾッとする。

 方法はあるのか?
 (・・・想いが形を創る)。

 正解を見いだす保証の無い稽古は時に過酷だが、実は大変楽しい課題でもある。豊穣なコミュニケーションのために新たな技術を見い出した時の喜びは、まるで人間としての自分のキャパシティーが拡張されたかのような錯覚(身になるかどうかは、その後の生き方で決まる)を与える。そして、想いは・・・人を創る。
 ところで、私共のカンパニーは女性が多い。「女性は絶対的に優しい」などとの発言を、この場で恰も公理のように表明するなら、ジェンダー論に照らしたならば私は差別主義者の烙印を押されるだろう。確かに優しさの定義は距離と質感により、幾らでもコード上を反転しながら錯綜するものだ。ところが、私には時間がない。公演の日時は決まっている。(個性という?)傲慢さがなければ、とても人生に対処出来ない。フェミニスト諸氏の反論をあえて身に受け、叫ばせてもらう。
「女性は絶対的に優しい」子供を前にしては・・・。
 そこで、彼女等の特質をあてにすることにした。
「お客さんを見殺しにするのか」私の苦し紛れの言葉は、メンバーにとっては天の声に聞こえたのだろうか。彼女等のモチベーションは嫌が上にも上がる。元々・・・自然な欲求に基づいている筈なのだが。
 さて、「環境=舞台空間内に現れるイメージ」と体とのコラボレーションだけでは間に合わないと、既に記した本公演。お客様に対するもっと積極的なアプローチが必要になってくる。技術が足りないと難解さしか伝えられない踊り手とお客様の間に、作品を分かりやすくアピールする「アプローチャー・掛け合い人」(例えば、翻訳者ー近年海外の輸入舞台作品での役者の台詞は電光掲示板・イヤホーンにより日本語訳を提供する機構を導入、道化ーシェークスピア劇等では物語と観客の仲介者として作品に組み込まれた役回り、進行役ー演歌の前奏部分で歌手・曲のプレゼンテーションを行う司会者、頼まれもしないのに男女の婚姻を斡旋して人生の喜びとする仲人)が必要になる。そういう役回りの人がお客様と舞台の間にいてもらう必要がある。美術館に常務する解説者(海外の場合ボランティアが担当。日本の学芸員よりはるかに親しみを持てる)に相当する人。
 子供たちの側にいて、例え踊り手が舞踏特有の(へんな顔)をしても「あれは、ぜんぜん恐くないんだよ」と優しく言ってあげる人がいればいい。踊り手があんまり動かなくっても「そんなに緊張しなくていいんだよ。気楽に見てればさー」と安心させる人。

 では、誰がその役を引受けるのか?
 当然、踊り手ですよ。他に誰がやるというの。

 ところが、踊り手の振り付けは作品と場の必然の中でキッカリ決まっています。勝手に踊りを止めてお客様の側(そば)に行くなどはもっての他。作品が成立しません。第一何しに秋田県の学校に行ったのか分かりません。私共は舞踏の公演をやらせてもらいに行ったのです。作品はキチッとやり切らなければなりません。
 それでも「アプローチャー」の役は、舞台に立つ、振り付けを課せられた踊り手がやらなくてはなりません。・・・しかし、踊り手の体はそれぞれ一つしかない。テレビで見た「なまはげ」を前に泣き叫ぶ子供の映像がよぎる。私共の作品を見て、泣き出す子供が出たらどうしよう・・・。
 私は恐怖する。それこそ、何のために秋田県まで行ったのか・・・。
 踊り手には一つの体で二人分生きてもらわなくては、何としても困る。
 (想いが形を創る)・・・とは言いながら、
 神様にお祈りしたい心持ちだ。

 私は困ったことがあると直ぐにお祈りする。ということは、・・・しょっちゅう、である。
 祈りが無い人生というのは、どうも淡白に思えて、かなり身勝手な願いの場合は多少恥ずかしさも生じるが、祈ることに躊躇はない。尤も特別な信仰を持つ訳ではないので、その都度、御都合主義でだが・・・。
 勿論殆どの願いは叶わない。そんな・・・全ての願いが祈るだけで叶ったのら、私は私では、なくなる。だから、願いは・・・おいそれとは、叶わない。
 しかし、時偶、奇跡が起こらないこともない・・・。
「あれっ、けっこう、出来ちゃうね」本番数週間前の稽古場で、私は思わずほくそ笑む。
「はい、確かに私の側に(アプローチャーが)来てます」一緒に観ていたメンバーが嬉しそうに言う。
 勿論、『忍者ハットリくん』よろしく「分身の術」など使えるわけもなく、錯覚にしろ一人の人間が二人に見える筈もない。舞台空間で、けっして見えないイメージの「アプローチャー(不可視の人)」を想定すれば観者にとって実に整合性がとれた(感覚的に納得する)空間が現出するということである。
 ところが、観客はそんな舞台の仕組みは知らされていない。
 知る必要もない。
 だから舞台は妙なバイタリティーを持ちながらも日常感覚からズレて感じられる。そこに「何だか分からないけど、よかった(楽しかった)・・・」と、観客に言わしめる舞踏特有の舞台構造の秘密がある。尤も、こうした方法を駆使する舞踏グループ(舞踏家)は過去の土方と私共以外では殆ど見受けられないのも事実であるが・・・。
 これで「行ける」、となった稽古では、メンバーを取っ替え引っ替え(踊り手役と観客役とを)変えて、みんなで「ああだこうだ」と言い合いながら、見つけたばかりの身体技術を試し合う。勿論如何なる技術と謂えども、上手下手を含めそれを体現する人の個性を反映する。私共が長年培ってきた他の技術も同じだ。スロー・スターターもいれば、器用貧乏もいる。何事も一様というわけにはいかない。しかし、希望が見えるということは何時でも人の心を雀躍させる。
「こうしようああしよう」限界を識る術も知らないうちは、夢は際限無く膨らむ。
 そこで振り付け=演出家たる私は出演者全員に、
「(踊り手それぞれが受け持つ)アプローチャーの振り付け=演出をしよう」と、言い出す。実際には舞台空間に存在しない、イメージだけの出演者の振り付け=演出をである。
 とんでもない発想をしているのでは?と、さすがに自分たちでも呆れるが、必要なことは、やり切らなければならない。
 例えば、今回の公演で、お客様の一人が「おもろくないよー」と泣きながら愚図ったとしよう。それに反応して踊り手全員が、その一人のお客様に自らの創り出したアプローチャー(不可視の人=実際には見える筈もないが、感覚として確かに何らかのメッセージを与える)を集中させたら、どうなるだろう。恐らくその一人のお客様の知覚受容器官は「あっぷあっぷ」になってしまい、それに引替え他のお客様は、踊り手から(何か物足りない)無視されているように感じるのではないか。            
 そうした事は多分に予想される。何故なら、懸命な人間は一つの事象に過剰に反応してしまいバランスを崩しやすい。経験を積んだ踊り手と謂えども、新しい出逢いにおいては、常に初心者なのである。
 また、観客は企画(例えば演劇祭、実験ライブ、親交会等)というフォーマットに括られながらも、出演者と同様に、何時でも個性的だ。その観客の多様性に応えるならば、出演者も己の個性を存分に発揮せねばならない。
 パターン化は禁物である。
「アプローチャー」は優しくて物わかりが良い人ばかりとは限らない。はにかみ屋や、時には好意を持つゆえ、ちょっかいを出すような悪戯っ子がいてもいい。自由なイマジネーションこそ頼りだ。踊り手も、本番に課せられた熾烈なノルマを束の間忘れ、稽古に興じる。不安を抱えながらも楽しい時間だ。
 実際、新しく身に付けた身体技術が踊り手にとって「どれ程のもの」、なのか?
 色んな風に曝してみなければ分かるものではない。

 不安は尽きない。

 「いざとなったら(お客様との関係が不快ゆえに断絶してしまうような事態が起こったら)、作品中の役割をかなぐり捨ててでも、お客様の元へ飛んで行くような気構えを持った人がいても良いだろう」私は示唆した。
 公演での自己表現などというものは、演り手の都合にこだわりがちである。所詮、自分事だということを忘れてしまっている表現者も多い。
 そして人生の、その時々の行為において、目的と手段をその都度クリアーにカテゴライズすることは難しい。
 公演というライブ・コミュニケーションも、また然り。
 作品とは目的なのか手段なのか?
「人生に腹を据えた踊り手なら、感性からの恣意的な動きも常に必然へと転化する」
 言葉上は・・・そうだ。
「本当の意味で即興が(そのまま)作品になるのは、(ジャズ界では)チャーリー・パーカー(アメリカの天才サックス奏者)くらいしか、いないよ」私共も以前、二度共演したことがあるが、フランス・リヨン市在住(アメリカン・ニグロをルーツとするジャズ・地図からすると、彼等は日本人と同じく周縁に住う)のジャズ・カンパニー「創造的民俗芸能探求協会」の主宰者アラン・ジベールの私の雑誌インタビューでの発言だ。彼は輸入文化としてのジャズへの野方図な模倣を戒めるフランス人ならではの誇りを持つアーティストであった。戦後の日本人では、なかなか、こうは・・・いかない。(自由な感性からの行為といっても、どこかでコードに捕縛されている)
 即興が必然に至るメソッドは未だ人類の神秘の一つだ。
 だから、私たちは助け合ったり、冴えないアイディアを幾つも出し合ったりして、日々奮闘するほかない。
 何が起こるか分からないライブ=公演では、それぞれのメンバーは自分の役割を全うすることでは事足りない。世阿弥の*「離見の見」ではないが幾つもの目が要請される。「自分のことは、後回しにする」心構えこそ必携だ。

 そして、充分のやる気と不安を背負ったまま、メンバーは秋田駅行き深夜バスに乗り込む。最近、長距離運転手の飲酒による事故が頻繁に報じられる。私は彼等の無事を、祈った・・・。
 





*[離見の見]ー(演者の目、客席からの目に加え第三の目として、両者を離れて見る目。土方はこの第三の目のことを、『神の目』かもしれない、と言っていたのを思い出す。当たり前のように謙虚な発言だ。何故なら、この目は存在の意味に隣接してくる。けっして『鳥瞰』という『編集』に帰属する特権的視座とは相入れない。
 第三の目は何も能の美概念にのみ組みする視座ではなく、広く舞台アート一般、それを超えた他のアート様式にまで適応されるものと私は考える。例えば、あるテクストには著者の目、読者の目があり、そしてそれらを見る何かもっと深い目があったとしよう。その時、そのテクストは人間の普遍的核心へ急速に接近する。その速度は無速にまで高まり、日本的人生観で云われる所謂『境地』といわれる領域にまで達することも、ままある。そうした表現者の『境地』をよりグローバルに捉えるならば、『ポエジー』という言葉に置き換えることが出来ると思う。絵画にも音楽にも当然ある表現構造の一基盤であろうし、味覚、触覚等、人の持つあらゆる知覚・認知に関わる。ということは、人間の『営み』全てに根付き、花咲かせ、実を成し、滅ぶという法則のうちに成立している。日常と云われる生活の中に、実は無数に見出せるヒューマン・コミュニケーションの一視座なのである。
 私は以前「風のまなざし」という作品を創ったことがある。それは産まれてきた誰の人生にでもいつでも寄り添っているもので、特別な何かではない、というメッセージを曖昧で最もリアリティーを持つ体で表現してみようと、無謀だが切実な試みをしたことがある。
 私にとっての第三の目とは、凝視ではなく、注視でもなく、ましてや編集を可能にする鳥瞰ではなく、「まなざし」という語韻が限りなくフィットする。)

2004年8月
2008/1/1 UPDATE 読みもの
土方舞踏批評 1  執筆:友惠しづね New!
アコギ・ファン 文:友惠しづね
大野一雄氏100歳をお祝いして 大野慶人氏インタビュー
 
聞き手:土方巽舞踏鑑 代表 カガヤサナエ
「南管オペラ」のアーティスト達 文:友惠しづね
台湾での舞踏講習会 -「江之翠劇場」の皆さんと- 文:友惠しづね
糸宇夢(しうむ) 「宇宙の中のひとすじの夢」 文:友惠しづね
舞踏の精髄 文:芦川羊子
My Sweet Lord 文:友惠しづね
眠りへの風景(エイジアン・コラボレーション) 文:友惠しづね
蝶々夫人 文:友惠しづね
南管オペラ 文:友惠しづね

X JAPAN hide(2005年9月25日hide MUSEUM閉館に寄せて)  文:友惠しづね

ビヨンド・ブトー 文:友惠しづね
third eye  文:友惠しづね
振付について ミラーリング 文:友惠しづね
形について・PART2 ニャン子ちゃんへの質問状 生命(いのち)の舞台あるいは近似値的絶対 文:友惠しづね
新宿アートビレッジ 文:芦川羊子
小さな祈り 文:友惠しづね(2004/8/15)

TOMOE SHIZUNE & HAKUTOBOhttp://www.tomoe.com Copyright (c) OFFICE TOMOE Co., LTD. 1995-2006 All Rights Reserved.