韓国の国楽雑誌「LARA」4月号で"金大煥追慕音楽会"が紹介されました。

2012-05-24

韓国の雑誌「LARA」4月号
韓国の国楽雑誌「LARA」2012年4月号

韓国の国楽雑誌「LARA」で"金大煥追慕音楽会"が紹介されました。 (韓国語)
毎年金大煥先生の命日である3月1日には、先生を尊敬し従った弟子と後輩たちによって、金大煥先生の追慕音楽会が営まれてきました。

"金大煥追慕音楽会は祝祭だ"
金大煥 追慕音楽会 スケッチ

黒雨・金大煥(キムデファン)[1933-2004]
キムデファン先生は両手に太鼓のばち、ジャング(韓国の鼓)のスティック、ドラムスティックなど六本のスティックを握り、大太鼓を叩く独特な演奏で世界的に注目を受けてきた打楽器ソリストだ。1970年代中盤に姜泰煥(カンテファン)[アルトサックス]、崔善培(チェソンベ)[トランペット]とフリージャズバンド・カントリオを結成。10年近く活動した。韓国の初代グループサウンズ協会会長を務めた彼は30年間大衆音楽界で活動してきたのだがフリージャズミュージシャンとして独立を宣言、韓国の打楽界で新たな地平を開き評価されてきた。1980年代中盤から日本など世界の舞台に進出。フランスのアビニヨン・フェスティバル、日本の関西フェスティバル、イギリスのエディンバラ・フェスティバルなど世界的な音楽祭を始め、約500回の巡回演奏を行った。また、米一粒に「般若心経」283文字を刻む事に成功。1990年世界ギネスブックに名が記された。

記事の本文
韓国の雑誌「LARA」の記事
韓国の雑誌「LARA」の記事


公演場をぎっしり埋めた観客達
舞台のそばに座ったり、上り下りする階段の
隙間に座って公演を楽しむ

昌德宮通りをぬけた所にある小さな劇場「北村チャンウ劇場(Bukchon Changwoo Theater)」で第8回金大煥 追慕音楽会が開かれた。公演場の座席は92席。公演開始前から劇場は人山人海だった。座席は92席だけなのに150名の観客が文字通り"ぎっしり"挟まれていて息苦しそうなものだが、場内には笑いが止まらない。司会者ジンオクソップの愉快な司会のおかげだ。アーティストは真剣に公演にのぞみ、敬虔で難解な演目が多かったのだが観客は歓呼した。痺れる感動と弾ける笑い声。観客とアーティストが一番近く呼吸する瞬間である。

# 韓国の選り抜かれた国楽人
舞台中央では黒雨・キムデファンの遺影と祭壇が祀られている。公演はイグァンスのビナリで本格的に始まる。ビナリ後、イグァンス他3人のサムルノリが続いた。鉄の音が絶頂に至る時、観客は自ずから感嘆した。カンウンイルのヘグム演奏はキムデファンの生前公演映像と一緒に行われ亡者と一緒に演奏するかのような感覚で、ホユンジョンのコムンゴ演奏は端雅であり、美しかった。ラストを飾る張思翼(チャン・サイク)の上演は追慕音楽会を祭りのように盛り上げた。"あなたは遠いところへ(ニムンモンゴセ)"、"春の日は過ぎゆく(ボムナルンガンダ)"、"あなたに捧げます(ナグデエゲモドゥドリリ)"を一曲、一曲歌い、観客一人、一人と目を合わせ、彼らと呼吸した。熟練な歌い手の姿、そのものだった。

# ジャンル、世代、国境を越えた多様な音楽人
グループ'カンテファントリオ'のメンバー・チェソンベ、ギタリスト・キムカンソクの舞台が公演をさらに豊かにした。チェソンベのトランペット演奏はまるでキムデファンの生前を思わせるハーレーダビッドソンのエンジン音のようで、ギタリスト・キムカンソクのギター演奏は抒情的な感性を強く醸した。
また、ヘグム演奏者・カンウンイルの弟子達で構成されたグループ・ファルのヘグム演奏、ジャンサイクの甥っ子・ユンヒョンジュンが所属している"広大入口"(ユンヒョンジュン、イムジョンボ)バンドの公演は若い雰囲気を放ち、公演に生気を与えた。一方、生前キムデファン先生を"韓国のお父さん"と呼び、尊敬してきた日本の重要無形文化財・大倉正之助の日本伝統楽器大鼓演奏、加賀谷早苗の舞踏上演、横澤和也の石笛演奏も行われた。彼らの汗と涙はそのものが感動だった。

# これは本物だ
追慕公演は整斉され悲しむ物なのか?そもそもキムデファン追慕音楽会のはじまりは"シナイナンジャン"(시나위난장)と呼ばれ即興で成り立っていたので初めから故人を哀悼する方法が並はずれていた。しかし、慎ましくないのが敬虔でないこととは違う。彼らの公演は時には難解で時には楽しいが敬虔である。自分ができる事をぶちまけ、死んだ者を哀悼する。これが故人を哀悼する方法である。そして、観客側はその公演を楽しむ。ある人は公演そのものを不思議な目で見つめ、ある人は黒雨・キムデファンについてぼんやりと知る事になり、ある人は楽しみながらも心の中で彼を哀悼したのであろう。数多くの出演者と観客が同じ空間で取り交わした多くの感情。黒雨・キムデファンは空からきっと楽しんでいると思う。

文 チョウミンジ
写真提供 北村チャンウ劇場

韓国の雑誌「LARA」の記事

# 張思翼(チャンサイク) Interview
キムデファン追慕公演でいつもチャンサイク氏は中心的な存在だ。西大門区ホンジドンで隣の家に住んでいた事以外にも故キムデファン氏とどんな絆があるのか気になった。
(チャンサイク)音楽的な影響をたくさん受けました。いつもキムデファン先生は「拍子を合わせずに自然にやって」と言いました。みんな私の歌が自由であると言います。

実際チャンサイクは正確に楽譜通りに歌う以上に呼応を引き出す。恐らくキムデファン先生の「拍子に合わせずに自然にやれ」と言うのがそんな意味ではないかと推測する。チャンサイクは感情で歌うとの評だ。実際、故キムデファンの以前の同僚、後輩達も彼を思いだし「自由なドラマーだったが、正確に拍子に合わせられなかった」という。合わせようとしなかったと言っても良いだろう。フリーミュージック。本質をしりながら逸脱して演奏する。それが始まりだ。
こんな音楽を大衆達に水準以上に見せるのは難しいと思う。また、上手くても認定される事は難しいと思う。認定された切っ掛けは?
(チャンサイク)チルチェだと言う。しかし国楽のチルチェではない。10年の間、チルチェを練習するのだが国楽のチルチェではなく、キムデファンのチルチェだ。無操作で演奏しているように見えるがその音楽は素晴らしく、他の音楽にマッチするのである。10年以上もやってきたから評価するのだ。キムデファン先生の音楽はずれながら時にぴったり合うのだ。重要な部分であっている。だから、呼吸があきれるほど合うと言う。

彼を慕う人達の中で日本人が多い理由はなんだろう?
(チャンサイク)我々はすでに知られ、公認されているものだけを認定する傾向があるが、日本の音楽系はそうでないものも一応音楽的に受容している。それが日本音楽系の底力ではないかなと思う。彼らと演奏をすると素晴らしいジャムをする。

文 ユチュノ
写真提供 北村チャンウ劇場