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「南管オペラ」のアーティスト達

文:友惠しづね

     台北国立実験劇場での「南管オペラ」公演

11月23日から26日に計5回、台北国立実験劇場で行われた周逸昌氏の主宰する「江之翠劇場(ガンツィン・シアター、劇団名)」の「朱文走鬼」公演は連日ソウルド・アウトとなる盛況振りであった。

「江之翠劇場」は「南管オペラ」という中国福建省に始まる伝統演劇を現代に継承する台湾の劇団である。京劇の200年に対し800年という長い歴史を持つこの演劇は戦後、台湾、中国それぞれの政治情勢により衰退しかけた時期もあった。

手足の繊細な仕草を駆使した踊り、唄、芝居、音楽を織り交ぜた総合的な舞台アートは優美な中にも土着的な力強さをも備えている。
元々、男性によって演じられてきたこの演劇は、「アクティブな女性」というグローバルな時代の趨勢を反映しているのか、今日では女性の継承者が主を占めている。「江之翠劇場」も小太鼓、銅鑼、縦笛、横笛、琵琶、三絃、二胡という7人の伝統楽器奏者と4人の俳優の内9人までが女性が担当している。

私がこの劇団の公演の演出を依頼されたのは今年の春のことだった。


     「江之翠劇場」と舞踏 

私達と「江之翠劇場」との関わりは、私達舞踏カンパニーのメンバーが1995年に台北で開催した舞踏公演、講習会にこの劇団の主宰者の周逸昌氏が参加されたことが縁になる。恐らく、私達は舞踏を台湾で紹介した初めてのカンパニーになるのであろう。

その後、彼の劇団の2人のメンバーが相次いで東京の私達の稽古場に舞踏の研修に来られ、今年2月、7月には、私達が彼が主催する台北での舞踏講習会に赴くことになる。日本−台湾、それぞれが持つ文化を浸潤させるのに比較的余裕のある時間を共有出来たと思う。
20代前半〜30代のお美しいお嬢様達(勿論、数少ない男性も紳士な方達だ)は皆、真摯に舞台アートを追求されている方々で、私も彼等を通じて台湾文化を知ることが出来たことを幸運に思えた。
彼等が発する体のテクスチャーは同じ東洋人といいながら日本人のそれとは微妙に違う。その体の素直さは台湾の突き抜けるような明るい気候と、ブレることのない中国思想の確信に満ちた意思を体現しているようであった。

2月15日には台北の彼等の劇場と東京の私達の稽古場をテレビ電話会議システムで繋いだ「テレ・プレゼンスVol.22」公演が行われる。
8月8日には陽明山の山房で彼等の舞踏の発表会が催された。踊りのグループが自前の音楽家を抱えていることはライブにおいて圧倒的な強みを持つ。この時も私の作曲したテープ音楽に交え加わった、彼等の個性的なライブ演奏が舞踏の新しい局面を開示させた。

踊りに限らず、一つの表現ジャンルでルーツとか系譜という序列的カテゴライズが行われ始めると、表現本来が持つ自然な生命力を不用意に措定することに成りかねない。例えば、ブルースやジャズ・ミュージックがそのオリジナルの属性にアメリカン・ニグロのソウルをオリジナルとして過大視すれば、それを演奏する他の国々の音楽家達はコピーという憂き目を負わされることになる。このような閉塞された状況が今日のジャズの衰退の一要因になっている。
世界の一人一人が持つ大切な体の表現にオリジナルもコピーもない。現に台湾人である彼等の舞踏は己の体に備わった文化のオリジナリティーを知らぬ間に、そして存分に発揮しながら生き生きと謳歌している。
もし、舞踏がユニバーサルな体表現の可能性とその共有を希求するなら、民族、国家というカテゴリーを超えてこそ本望の筈だ。

「陽明山」の舞踏発表会での体が発現する「江之翠劇場」の皆さんのテクスチャーは、そこに一緒に参加させて頂いた私達のメンバーである芦川羊子、天乃宇受美と違う。DVDを見ていただければ瞭然のことだろう。日本人の体の方が湿潤で重いのである。体という生き物は正直に風土を表象するものである。
だからと言って、どちらが上も下もない。一緒に今、皆が踊っているという事実が大切なのだ。

私の振付け法は、常に踊り手個人と向かい合い、その人が内在している美の可能性を如何に引き出すかに専念する。形に当て嵌めることはない。
私が生きている限りは、舞踏においてオリジナルとコピー等という安直なカテゴライズは誰にも許さない。

それにしても「江之翠劇場」の皆さんの舞踏は半端じゃない。私達より魅力的だよ。




     「朱文走鬼」

「朱文走鬼」の脚本は1953年に泉州の田舎で活動する「南管オペラ」の女優により発見された。当初不完全であったこの脚本は1954年林任生氏により纏められ1955年に呉捷秋氏の演出で初演された。中国語で鬼とは幽霊のことをいう。
その昔、操を守るために娼館で虐待死された娼婦(一粒金)の幽霊と、今は寂れ果てた旅館になった娼館の一室に宿を取る、仕事を求めて旅する貧乏な書生(朱文)との恋愛ファンタジーである。


第一部。
深夜、朱文の泊まる部屋に、消えてしまった蝋燭の明かりを貸して欲しいとの口実で部屋に入り込む可愛いがちょっと強(したた)かな一粒金の幽霊。純朴でどこかトロイ男・朱文との間で、二人は永久の愛を誓う。黎明の別れ際、一粒金は愛の証として小金が入った刺繍入りの財布を朱文にプレゼントする。


第二部。
あくる日、旅館のごうつくばりの女主人とちょっと気のいいその亭主に、朱文は落としてしまった刺繍入りの財布を拾われる。「この財布は、昔殺してしまった一粒金の棺に入れたもの。あの書生は墓場荒らしに違いない。」怒った主人夫婦は朱文を追求する。朱文にしてみれば身に覚えのないこと。娘・一粒金との結婚を許さないための言い掛かりと思う。すったもんだの挙げ句、三人は一粒金の幽霊が現れたことを知る。怯え許しを請う主人夫婦。一目散で逃げるように宿を後にする朱文。その朱文を血相を変えて追いかける一粒金。


第三部
黄昏の村外れ。「ここまで逃げて来れば、もう安心。」と、ほっと息を付く朱文の前に事も無げに現れたのは一粒金。「さー、どうしてくれよう。まさか、あなたは私との永久(とわ)の愛の約束を忘れようって訳ではないでしょうね。」もともと、どこかトロい男・朱文。大地に根差すような女性性を持つ女幽霊・一粒金に言いくるめられたのか、生死を超えてロマンスを求め続ける男の弱さを表象しているのか、二人は手を取り合って彼方へと誘(いざな)われる。


     「朱文走鬼」の演出

生死の狭間で繰り広げられる幽霊と人間のラブ・コメディー。私は脚本を読み込むうちに、これは単なる喜劇ではない、伝統芸能の骨子に密かに内在する尋常ならざる力を感じた。

異説はあるが、「南管オペラ」は庶民の間で培われた芸能である。中国の幾多の歴史の変遷に振り回され続けた生活者。その土地に根付き生き続ける庶民というパワーが、時に悲惨な現実に見舞われながらも、それを乗り越えるために喜劇として昇華させ得たアートではないのかと思えた。
また、古典作品とはいいながら、例えば現代の日本には売られて来た東南アジアの子女達が日夜悲惨な仕事を強いられ、自殺する人もいる。職を求めて不法入国した男達は搾取され閉塞した生活を送る。そうした人達の現状にとって「朱文走鬼」は今尚リアリティーを持つ物語、と解釈することも出来る。

日本でも似たような状況に見舞われていると思われるが、古典芸能である「南管オペラ」も若者の観客が遠のいているのが現状のようだ。「江之翠劇場」の主宰者である周氏も「南管オペラ」を正確に伝承しながらも、よりユニバーサルなアートとして紹介していきたいとの意向を持っておられたようだ。
前衛アートである舞踏家の私を演出家として抜擢した理由もそこにある。しかし前衛と目されながらも、私は所謂「奇を衒った」意匠は嫌ってきた。自らのカンパニーの踊り手には舞踏の象徴とされる白塗りメークや裸は止めてきた。それは、踊り手自身に内在する隠れた魅力とパワーを引き出すことによって観客とより密なコミュニケーションを図るためである。一見観客に対して「奇を衒う」意匠は馴れれば画一化した「虚仮(こけ)威し」に過ぎない。それより、時間と手間は掛かるかもしれないが、その踊り手の個性を丹念に引き出すことの方が、踊り手一人一人にとってもそれと関わった観客の得るであろう充実感のためにも実のあることと考えた。

台北国立実験劇場はニューヨークの「キッチン」のようなブラック・ボックスだ。私は其処にこれ又黒一色の浮き島のような能舞台を設営した。コンクリートの壁は剥き出しのままである。この舞台に出演者は晒しもののように立つことになる。
飽くまで、その人が持ちその人を表象し、休む事無く生成し続ける体の可能性を探求する私の、何時もの演出法だ。物語を説明する意匠は省くようにした。

舞台美術は大まかな寸法は私が提示したが、決め所となるディテールは台湾の新進美術家の黄怡儒氏が受け持った。彼はルイ・ヴィトンのイベントの舞台をこなすなど、所謂、売れっ子だが、彼の出す寸法は的確でありモダンに仕上がったその舞台には才能を感じさせた。
衣食住をトータル・テーマに台北を中心に創作活動をする鄭氏の衣装は、染めの技法にこだわり、その淡いテクスチャーは舞台環境と出演者の人間性を無理無く馴染ませるものであった。
私は今回の舞台では、メイクにしろ衣装にしろ、なるべく「南管オペラ」の持つ伝統的意匠を排除するよう努めた。出演者個々の日常まで含めた創作のプロセスをもプレゼンテーションするためである。中国から来られた「南管オペラ」の指導者・洪美玉先生の温かい御賛同が得られたことは何よりであった。
勿論、私の演出始めこれら実験的舞台の裏方達のアイディアは、周氏と「江之翠劇場」の皆さんの舞台アートに対する真摯な姿勢と情熱に支えられたことは言うまでもない。
また、私達のカンパニーのメンバーである芦川羊子も、この作品の狂言回し役として参加させて頂けたことも嬉しい限りである。

自分で言うのも何だが、とにかく凄い拍手で、出演者、裏方共々皆とてもハッピーになれた公演であった。しかし、舞台アートはお金が掛かるもの。主宰者でありプロデューサーの周氏の太っ腹には感謝するばかり…。


この舞台のDVDは近々発表される予定である。

「朱文走鬼」

プロデューサー 周逸昌


演出・振付 友惠しづね

演出助手 天乃宇受美

アートマネージャー 加賀谷早苗

衣装 鄭惠中

美術・照明 
黄怡儒

出演 魏美慧、林雅嵐、温明儀、陳玉惠
    芦川羊子

演奏 陳佳(南鼓)、徐智城(琵琶)、林世連(二紘)

    
林偉驕i二紘)、廖于濘(銅鑼)、陳品綺(三紘)
    林茜(笛)

▲台北国立劇場前広場では各種イベントが行われる。 公演ポスターと友惠しづね。

▲「江之翠劇場」の皆さんと舞台上での記念撮影。
左手前は主宰者の周さん。
▲劇場上手に設えた浮き島のような舞台で音楽を奏でる演奏家の皆さん。
画像をクリックすると、南管音楽の演奏が聞こえます。(Windows Media Player 対応)
▲南管オペラではコンダクター役を担う太鼓奏者のジャーワンさんから 楽器の手ほどきを受ける友惠。この太鼓を一台プレゼントして頂いた。

▲「朱文走鬼」でプリマを演じるヤランさん。
▲1時間40分。三部構成の本作品全てのシーンに出ずっぱりの「朱文」役を演じたミーフィーさん。「疲れてない?」と訊くと、「a little」と引き締めた表情で答える。グレート。
▲旅館の経営者夫婦を演じるユーフォエさん(左)とミンイさん(右)。このお二人にはホント助けられた。繊細な気遣い、有り難う。

▲下手「橋掛かり」奥のゲートは作品シーンの心象風景を表象するように幾種の カラーにライト・アップされる。

▲本作品の一つのキー・ポイント「狂言回し」役を演じる・芦川羊子。
芦川に振付けをする友惠。
ヤランさんに振付けする友惠。
演技指導する友惠。本番でもヤランさんには能舞台から足を投げ出して観客に直接絡んでもらった。
ブラック・ボックス劇場に設置された、これまたブラックの能舞台。
(リハーサル風景)
美術、照明を担当された黄さんと友惠。(青山のデザイン事務所を想わす黄さんのアトリエにて)
▲衣装家の鄭さんと打ち合わせをする。
中国「南管オペラ」の第一人者洪先生。この道40年の彼女は芸に関しては速度は早いが、とても大らかで気さく人。私の唇が荒れているからと、ビタミン剤と彼女が常用するリップ・クリームを下さった。・・・ これって間接キス?

照明オペレーターの王さん。舞台照明で白を造る場合、光の三原色(黄、赤、緑)を混ぜる。ただ原色が滲んでしまうため白の前当てでフォローするのが常だが、この会場は前当てが弱い。三つの原色が浮き出てしまう。 「申し訳ないけど、仕込んだ色ゼラ、全部とってもらえます?」と、頼む。 時間の無いなか、手間の掛かる作業だ。「いいよ、いいよ。何でも言って」 と、彼は私の注文をいつでも快く引き受け技術者の本領を発揮してくれた。

「南管オペラ」は中国古語で演じられるため、舞台では現代語訳の字幕スーパーが流される。この操作はPCで行われる。

舞台監督のウェンシェンさん(右)と友恵(左)
舞台監督のウェンシェンさん。彼女の透徹した視線は舞台を支える。
追ん出された劇場の外階段の乏しい灯りの下で、舞台照明の打ち合わせをする。もう深夜の1時を回っている。
受付に坐るのは「江之翠劇場」の美しいスタッフ。
受付に坐るのは「江之翠劇場」の美しいスタッフ。
無事、舞台初日を終えた楽屋にて。周さんと。

打ち上げパーティーでは南管音楽の重鎮、おん歳95を迎える蔡添木氏が、洞簫の演奏を披露して下さる。
今回の作品で、私に付きっきりで演出助手を勤めた天乃宇受美(あまのうずみ、写真中央)友惠舞踏を知悉する彼女なくして、私は今回のコラボレーション作品では如何程力が発揮出来ただろう?シェーシェー。
中央奥は日本の舞台アートを世界に紹介するプロデューサーであり劇団 「民藝」の女優でいらっしゃる青木道子さん。最終日に日本から駆けつけて来て下さった。
 
     アラカルト1 「雲門舞踊団」

私達の公演と丁度、時を同じくして、同じ国立台北劇場内の大ホールでNYタイムズで「台湾の英雄」と評された「雲門舞踊団(クラウド・ゲート・ダンス・カンパニー)」の公演が開催された。私は彼等の東京公演を今年8月に観に行っている。
アジア発のモダン・ダンスとして世界的に知られた彼らの舞台は、自国台湾文化とそのスピリチュアを身体表現の中に誇らかに謳い上げるものであった。日本に自国文化のテイストを強く押し出すダンス・カンパニーが現れないことに寂しさを覚えた。
「クラウド・ゲート」の主宰者・林懐民氏は、私達を公演の舞台リハーサルに誘って下さったが、私も本番を控え忙しい。偶々私達の控え室に隣接したリハーサル・ルームでの彼等の稽古を私は時間を盗んで見学させてもらった。「撮影はいい?」との私の問いに彼はすかさず「ノー。」と一言。…ケチ。
20人程の若いダンサー達は、数人ずつのブロックに分かれてそれぞれ振付けられた動きを稽古していたが、林氏はリハーサル・ルームを歩き回りながらその都度丹念にダンサー達に指示を出されていた。信頼し合う親子のように団員達は彼に敬愛を払うのが読み取れる。精神的にストイックな場が醸されていたことは確かだ。静かであった。
彼等のダンスの技術的なことについては機会を改めるが、私は常々、台湾という特殊な国家情勢を逆手に取るような林懐民氏の戦略的なアート・マネージメントには注目していた。台湾と中国との統一問題が取沙汰される中、今後の彼の創作の行方が気になるところだ。
彼等は公演初日の数十分前、中華風に設えた劇場ビルの屋根の天辺で、白い衣装を羽織った一人のダンサーが白い旗指し物を背負いデモンストレーションを行う。旗指し物の大きな布は強い風に靡き、何かに向かい決意を表明するような戦闘的な印象を与えた。劇場に隣接する道路からはテレビカメラがこの模様を追う。
▲「クラウド・ゲート舞踊団」の主宰者・林懐民氏と。(お互い稽古が終わった劇場外にて)

▲劇場屋根で繰り広げられた「クラウド・ゲート舞踊団」の団員によるデモンストレーション。

 
     アラカルト2 台湾No.1フォーク・ギタリスト陳明章

私は自らの主宰する舞踏カンパニーの音楽を担当するフォーク・ギタリストでもある。この楽器を手にしたのは中学一年生の時だから、随分と長い付き合いとなる。
日本では近年、アコギ(ロック音楽で使われるソリッド・ギターに対してアコースティック・ギター)との名称で呼ばれるこの楽器のもともとの名称フォーク・ギターのフォークとは翻訳すれば民族という意味である。しかし日本の場合1960年代に爆発的に広まったフォーク・ブームはそのギター・スタイルと共にアメリカ商業主義の影響化から抜け出ることは稀であった。
「ギターを始めたのは14歳。ブルースとジャズは26歳の時捨てたよ。」
横町のおじさんのように気さくに語り出すのは、台湾を代表するシンガー・ソング・ライターの陳明章さん。彼は自国台湾文化に根差すフォーク・ソングをギター・ミュージックによって探求し続け、台湾の独立を標榜する200万人が集まった「民進党集会」ではキャンペーン・ソングとなった彼の唄「あなたたちは私たちの宝物」が唄われた。台湾独立の象徴的ミュージシャンといえる。1995年日本映画「幻の光」の音楽を担当する等、日本でも知られ、最近では映画の他、テレビ・コマーシャルの音楽も担当される等多彩な活動をされている。
私はかねがね、彼の独異なギター・スタイルと明るく情緒感溢れる音楽に惹かれ、 台湾からCDを取り寄せて愛聴していた。今回、台湾に行くにあたって是非彼にお逢いしたい旨をメールで連絡させてもらった。
彼は公演最終日の本番前、奥様と連れ立って私の楽屋に来て下さった。実は、前日もお二人でお見え下さったそうだが、融通の効かない国立劇場のシステムで招待券は一枚しか用意されておらず、「一人では観ないよ。」と奥様を気遣う彼は帰って行かれたという。
そんな陳さんを奥様は「うちの旦那は、そこが凄いのよ。」と誇らかに言い放つ。
お二人は台湾の高い太陽の光を匂わせるような突き抜けた明るさを持っていた。
この日、陳さんに出会えたことの幸せは忘れない。
「台湾中、案内するよ。温泉もあるし。」と、にこやかに言う陳さんに、「明日、帰ります。」と応える私。「えー?」と残念がる表情を向ける陳さんの優しさが私の心に滲みる。
私は海外での長い舞台公演では、指馴らし用のギターを持ち歩く。この日も私の楽屋の隅には電気を通さなければ小さな音しか出ないフォーク・ギターが立て掛けてあった。
(えっ、ギターあるんだ。)陳さんはすかさず私のギターを抱えると、いきなり弾き出し、たからかな声で唄い始める。私は一等席で彼の唄を聞くことになる。
その日に私がセットしておいたギターのチューニングは偶々三味線、琴等和楽器のアレンジ演奏をするためのものだった。「これは南管音楽(を彼が演奏する時)のチューニング。」と彼は言う。西洋楽器であるフォーク・ギターを弾く者として、国は違えど同じアジアの伝統音楽に対するアプローチの仕方がリンクしていることに、私は嬉しさを感じた。
「チューニング変えていい?」 「勿論。」私は彼が回す弦巻きを眺め弦が切れないをことを祈りながら応えた。
次の曲は月琴という二弦琴から発想を得たチューニング。台湾に伝わる牡蠣を取る海女の唄だそうだ。次は三絃からのもの。
彼のギター奏法の左右の指の動きは、私が発想だにしたことのない全く独自のものであり、ここまで自らの力だけで完成させたアジアのギター・スタイルを私は知らない。
優しく明るい彼の歌声に、それまで楽屋の外で耳をそばだてていた私の敬愛する盟友「江之翠劇場」の音楽家、役者達がいつの間にか私と彼の楽屋内に入り込み、彼の音楽に聞き惚れる。
「一日8時間、6年間弾き続けたよ。」自国文化に対する力強い熱意。フォーク・ソング、フォーク・ギターのアジアの骨頂を私は確かに見た。
「世界で表現するには、まず、自国の文化を大切にしなくちゃ。」彼の呟くように放つ言葉は私に親しげにのしかかる。
そうこうする内に、客入れの時間が来た。お二方をこれから始まる私達のパフォーマンスの劇場の客席にご案内した。私は、(台湾に来て本当に良かった…。)と改めて思った。良い人達を通して知るその国は、飽くまで良い国なのだ。私は運が良かった。


陳明章さんの音楽にご興味のある方は、こちらのサイトからCDを購入できます。

台湾を代表するフォーク・シンガー陳明章氏と。(劇場楽屋にて)
▲台湾の伝統を朗らかに唄い上げる陳さんと奥様。
楽屋には「江之翠劇場」の皆さんがいつの間にか集まり、彼の音楽に聞き惚れる。彼の音楽は人にエナジーと幸せを与える。
yohaku
CD
CD「A Heap Of Guitars」


    アラカルト3 台北 康黍会の方々との講習会

「朱文走鬼」でプリマを演ずる一粒金役のヤランさんは、普段学校の児童、生徒さん達に南管オペラを教える傍ら、体と心の癒しをテーマに疾病者への講習会をボランティアで行っている。
そんなヤランさんのお取り計らいで、今年8月、彼女が受け持つ乳癌を患った方々のクラスでの私達と彼等の講習会が実現した。
私達は日本でも聾唖学校や小学校、老人ホーム等でのボランティア公演、講習会を行わさせて頂いているが、台湾でもこうした活動に参加させて頂けたことは嬉しい限りであった。
私自身、幼い時から喘息を患っているが、自分が関わっているアートが救いとなったことが幾度もあった。私達の講習会は今のところ現場のスタッフの方々や先生の助けによって、やっと成り立っているような状況だが、将来はもっと充実した内容のプログラムを皆さんと楽しめたならと思っている。
「一本の木から一粒の種が舞い飛び、風に舞いそれぞれ備わった土地に舞い降り、
芽を出し根を生やし一本の木として育っていく」という物語を一緒に踊ってもらうといういたってシンプルなものだ。この内容は私達の公演作品でも踊られている。
後日、小学校の児童さんから送られてくる感想文等は私達にとても勇気を与えてくれる。イニシャティブを執らなければならない私達を逆に気遣って下さるようなものが多く、恐縮してしまう。
今回、台湾での講習会でも、ご参加頂いた方からお手紙を頂戴した。私達は皆嬉しく思いました。何故って、少しでも踊りの楽しさを皆さんと共に味わえたのだから…。
ご本人のご了承を頂けましたので、ここにそのお手紙をご紹介させて頂くことにします。
私達は台湾の皆さんと共に舞踏の講習会を楽しめたことを心から幸せに思います。
また一つ更なる勉強の契機になりました。

 

康黍会の方々との講習会。
「一粒の種が一本の木に成長する」という踊りを皆さん一緒に踊って頂きました。
 
2022/7/10 UPDATE 読みもの・映像・音声
アーティスト・ユック・クンビュン 自然の調べ、その優しくも強靭なる願い 執筆:友惠しづね
2020「江之翠劇団」公演『朱文走鬼』に寄せて 執筆:友惠しづね
石婉舜氏(台湾国立清華大學文學 准教授)からのインタビュー
舞踏の表現構造 執筆:友惠しづね
終わりなき舞踏メソッド創造への旅 執筆:芦川羊子
一本の木の物語 執筆:天乃宇受美
友惠舞踏メソッドによる 「ポスト・フリー・コラボ」 執筆:友惠しづね
歩行テキスト批評 執筆:友惠しづね
からだ表現と即興 執筆:友惠しづね
詩の朗読と舞踏のコラボ 執筆:友惠しづね
「友惠舞踏メソッド」、その演出法 執筆:友惠しづね
即興音楽と舞踏 友惠コラボメソッド3 執筆:友惠しづね
みんなで楽しめるコラボ・システム 執筆:友惠しづね
即興音楽と舞踏 友惠コラボメソッド 執筆:友惠しづね
即興音楽と舞踏 友惠コラボメソッド 2 執筆:友惠しづね
風のまなざし 詩:友惠しづね
友惠しづねと白桃房 活動レポート
大船渡市・陸前高田市 災害支援ボランティア (入澤サタ緋呼)
ブルース・ハープ 執筆:加賀谷さなえ
大野一雄氏100歳をお祝いして 大野慶人氏インタビュー
 
聞き手:土方巽舞踏鑑 代表 カガヤサナエ
「南管オペラ」のアーティスト達 文:友惠しづね
台湾での舞踏講習会 -「江之翠劇場」の皆さんと- 文:友惠しづね
南管オペラ 文:友惠しづね

X JAPAN hide(2005年9月25日hide MUSEUM閉館に寄せて)  文:友惠しづね

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