舞踏・BUTOHの創始者土方巽を唯一継承、舞踏芸術の発展をめざし、実践する舞踏カンパニー「友恵しづねと白桃房」のウェブサイトです。




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友惠舞踏メソッドによる
「ポスト・フリー・コラボ」
文:友惠しづね

’60年代ジャズ、ロック、民族音楽のアドリブ演奏から発生したジャンルに即興音楽(フリー・ミュージック)があります。’70年代のノイズミュージック、現代音楽の演奏家を巻き込む横断的な活動は、それまでの形式を否定することで音楽概念をアクティベートさせようとしたジャンルでした。
ノン・リズム、ノン・キー、時間無制限、打ち合わせ無しで始められる演奏家達の出身ジャンルはまちまちでした。
しかし如何なる表現=コミュニケーション手段もジャンルとして確立されてくると逆説的に硬直化の兆しが現れるのに時間はかかりません。
’80年代前半こうした即興音楽の状況を打開する方法としてポスト・フリーが生まれました。
共演者同士が打ち合わせ無しで演奏することをモットーとした即興音楽は、常に袋小路に陥る(収拾不可)リスクを孕んでいます。このリスクがスリルに転化する起因になり、演奏者と観客に共有されれば一つの音楽スタイルとしての魅力をキープできます。
しかし演奏家が予見不可能であった筈のリスクに無意識裡に保険を掛け出した時、最早その演奏は馴れ合いに堕し魅力を失います。中にはパターン化を避けるために強引な振る舞いをする演奏家もいますが、元々、即興音楽は先鋭的とはいえアンサンブルを重視することは他の音楽ジャンルと変わりません。共演者には彼の行為は我執に拘ったスタンド・プレーとも映ります。
そこで演奏家に規制(枠組み、ルール)を課すことで演奏を潤滑に展開させ、作品が冗長になることを防ごうとします。この規制された方法による即興音楽をポスト・フリーと呼びます。
例えば指揮者の任を請け負う音楽家に指名された演奏家だけが「止め」の指示が下るまで指揮者の指示内容(早く、リズミカルになど)に沿う範囲で即興演奏を行うという方法です。このようなゲーム感覚を導入した方法は当時の演奏家や観客達に、即興音楽の新たな可能性を示唆させる斬新な試みと評価されました。しかし、その方法も確立されてしまえばマンネリ化し新鮮さを失います。

同じ頃、身体表現のジャンルでも即興表現を方法として取り入れようとするムーブがありました。今日とは違う意味で使われている「パフォーマンス」(当時は身体表現の一ジャンルを括る名称だった)が前衛アートとして紹介されます。
即興表現という共通志向から即興音楽家とパフォーマーは「コラボレーション」(当時はアート業界における異種ジャンルの共演という意味で使われていた)という新規なアート表現の形態を試みようとします。
しかし元々、技術を含め既存の音楽的背景を持つ演奏家と、身体技術、表現の背景を持たないパフォーマーとは即興に対するスタンスが大きく違っていました。
楽器の技術習得に多大な投資が必要な演奏家は表現の可能性を如何に拡げるかに興味を持ちます。一方パフォーマー(多くは舞踏家を自称する)は即興が要諦とする一回性という概念を恣意的に解釈しライブに臨みます。こうしたパフォーマーの表現価値は「他人志向」に足場を置くために言葉によるプレゼンテーションに頼るものも多く、実質価値(実際の体表現)と遊離せざるを得なくなります。
このようなパフォーマーの行為は即興演奏家とのコラボなど新奇ということもあり、前衛アートという名目で一時的に耳目を集めはしましたが実験性に留まるものであり、ジャンルとしては確立し得ませんでした。

演奏家と身体表現者の即興ライブをジャンルの技術として提示できたのは友惠舞踏メソッドによるものが唯一無二でしょう。
’89年即興演奏家と舞踏家とのコラボ・シリーズ公演「風に寄り添う女」は第一回池袋演劇祭で大賞を受賞しています。
今尚その技術は開拓、研鑽され国内外を問わず他ジャンルの多くのアーティスト達との公演、ライブで披露し続けられています。

■初級編
○演奏家など他ジャンルのアーティストとの即興コラボにおいても作品性を重視する友惠舞踏メソッドでは作品構成に多くのバリエーションを持つため、その都度踊り手には具体的な表現法を提示する。
  1. 如何なる作品構成パターンでも1シーン、7分以上はやらない(7分3シーンで20分続けてできれば一流のプロ。この時間以上、即興コラボをできる踊り手は世界で誰もいない)。
    場を間持たせさせるような踊り手に対しては、演奏家はお座なりの演奏で合わせる他なくなる。

  2. 踊り手はリハーサル時での演奏家の立ち居振る舞いと、本番での初めの数秒の演奏からその人となり、実力、その場での演奏の志向性を把握しなければならない。

  3. 踊り手は自らの体と場を鳥瞰する目を持っていなければならない。演奏家の出す音(リズム、メロディー、テクスチャー)に直接反応してはならない。そのためには音という聴覚情報を他の感覚情報に変換して捉える。例えば演奏家から発せられた音を自身が立つ処の場に描かれた風景として、或いは触れるテクスチャーとして聞く。

  4. 踊り手は場から明確なメッセージを生み出すディレクターとしての視座を持っていなければならない。そのためには創作における構成力が必須の技術になる。

  5. 共に場を生きることの有り難さを知らないアマチュア(逆説的だがプロは怒濤の謙虚さを持ち続ける故に永遠のアマチュア)とは一緒にやってはならない。踊り手には過剰な負荷が掛かることでその場でのペースが乱されるだけではなく、人が良過ぎる踊り手の人生には亀裂を生じさせることがある。


○演奏家一人と踊り手一人のシーン
  1. 上記のことを守ればよい。

  2. 演奏家は体を持ったパフォーマーでもあることを忘れてはならない。彼等の演奏中のアクションは踊りでもある。


○演奏家一人と踊り手二人のシーン
  1. 踊り手の一人は舞台後方で動かず、全体の場をディレクションする役割に徹する。二人の踊り手が同時に舞台上を動き回ると演奏家はどちらに照準を合わせていいか迷い、場が崩れる要因になる。二人の踊り手は一つのシーンの中でポジションを入れ替えることは可能。


○演奏家二人以上と踊り手一人のシーン
  1. 二人同時に演奏させない。踊りの場であるにも関わらず演奏家だけでアンサンブルを完成させることが侭ある(演奏家の本能から無意識裡につるみ易い傾向を持つ)。力量がない踊り手の存在は場から浮く。

  2. 演奏家は同じ場所に配置しない。舞台(客席も含める場合もある)に散らばらせると、演奏家の踊りへの関わり方の違いを演出要素にできる。
    また照明操作(演奏家に当てる)により演奏家に自身の演奏開始、終了の指示ができる。これによりシーンの時間構成が明確にプレゼンテーションできる。

  3. 演奏が主導権を持つ場(例えばライブ・ハウス)に踊り手が参加する場合、舞台への出入りのタイミングを見極める。
    演奏家の備え持つ演奏内容=引き出しの数(テクスチャー、色合い、重厚感など)は誰しも限られている。そのために一つの演奏内容は一定時間キープするのが基本となる。これは一度行った演奏内容を繰り返すと演奏の進行に澱みをきたす怖れが生じるからである。
    これは踊り手にも当て嵌まる。自身の持つ踊り表現=引き出しの数を把握し時間配分を意識し続けなければならない。ただ一度舞台に体を晒した踊り手には演奏家と違い無音(居ない)という表現手段が無い。踊り手は余程の力量と構成力を持っていない限り20分以上出演するのは危険。
    世間には1時間以上出演し続けるパフォーマーもいるが、半分以上の時間は意味持たせ(演技)をした動きの無いオブジェとして振る舞う他ない。演奏家にとっては興を剥ぐ行為としてしか捉えられない。これでは最早即興コラボとは云えない。
    これが翻訳語のインプロビゼーションではなく日本文化を表徴する「即興」なのかと問われた時、いったい何れ程の日本人がその問いに向かい合おうとするのだろうか。


○演奏家二人と踊り手二人のシーン
  1. 演奏家Aと踊り手a、演奏家Bと踊り手bという2組が、それぞれ一つのシーンで同時にコラボする。
    演奏家AとBは直接には絡まないが、演奏家という生き物は聴こえてくる音に自分の出す音を無意識裡に同期させてしまう習性を拭えない故に、不思議とシーンが乱れることはない。


○演奏家の即興演奏と振付けを施された踊り手とのシーン
  1. 踊り手は自身の動きの「間」と体の質感(奥行き感、滲み感、擦れ感、抜け)を演奏家の資質を直感的に把握し、場を俯瞰した上で同調させる。


上記のパターンによるシーンを組み合わせて一つの作品とする。
尚、照明の切り替えは演奏家が場に対する距離を計れなくなるので、演奏中はしてはいけない。
音響(イコライジング、エフェクター、ボリューム)はリハーサル時に演奏家が納得いくまで調整する。踊り手はこの様子を客席から観て舞台上の音場を捉える。演奏中はハウリングなどの突発的事態が発生する以外、リハーサル時に決めた音響に固定し任意な音響操作(これをやられると演奏のスタンスが根底から崩れる)は一切してはならない。コラボは互いに相手の身になることが基本となる。

■中級編
○演奏家、踊り手に美術家も加わった場合。
  1. 普通、美術家の作品は美術館、画廊で発表されるが、平均鑑賞時間は数分と短い。1時間を超えるライブ舞台に対応するようには作られていない場合も多い。
    そんな美術家の作品をライブ舞台で一人の出演者として或いは風景として演出するには照明の段取りと操作がキーとなる。多様な照明の当て方で美術作品が内包する多彩な魅力を引き出せるからだ。
    これには劇場の照明システムを熟知した上で空間構成をする配慮が必要になる。そのバリエーションは千差万別。コラボ作品としての完成度は踊り手側の作品の構成力と演出技術に掛かってくる。

  2. 踊り手には美術作品の形状、テクスチャーに自身の体を浸潤させる技術が要求される。この作業を円滑に行うには踊り手は美術作品を預かり、自身の生活空間の中で一緒に寝起きしてみるのも良い。作家の人となりが伝わりもする。


○演奏家、踊り手に詩の朗読が加わった場合。
  1. 発声訓練もしていない詩人は元より役者の詩の朗読でも、即興ライブに対応する技量を持った者はまずいない。何故なら言葉の伝達速度は遅い。それでもライブ公演が成立するのは殆どの場合、演奏家がバック演奏に徹するからだ。

  2. 踊り手は即興のアンサンブルの何たるかを知らないが故に独善に浸り易いアマチュアとは距離を持つべき。コラボ公演では朗読者の朗読する詩を事前に熟読し、彼等の技量、人間性を把握した上で彼等を起てる心構えが必要となる。

  3. 踊り手は朗読者の発する言葉の意味に直接反応してはならない。朗読者の言葉の意味と声を混淆物と捉え、風景として還元し直し、自身の体の質感を浸潤させることが基本となる。
    感覚情報で成り立つ音楽、踊りと、直接的な意味を備える言葉との関係は人間のコミュニケーションの基本を問い直す最も原初的な手段を提示する故に、開拓の沃野は大きい。


○作曲作品による振付けシーンと演奏家とのコラボ・シーンの組み合わせで構成される作品の場合。
  1. 作品構成には「前半に演奏家とのコラボ、後半に作曲作品による振付け」「前半と後半に作曲作品による振付け、中盤に演奏家とのコラボ」「両シーンの入れ子構成」など幾つかのパターンがある。
    作品構成は共演する演奏家と、踊り手の人数とそれぞれの個性(体の資質、技量)、劇場の照明、音響などのシステムと劇場の形状、テクスチャーを総合的に考慮に入れて創られる。

  2. 踊り手が作品の構成、演出を兼ねる場合は作品全体のディレクションを優先させるために、自身の踊りはフォローに徹する。

  3. 作品構成が作曲作品による振付けと即興シーンとの「入れ子構成」の場合、演奏家と踊り手のコラボ・シーンは成り行きが読めず、続く作曲作品による振付けシーンに巧くバトン・タッチできるとは限らない。
    作曲作品による振付けシーンの前(演奏家とのコラボ・シーン)に出演する踊り手は、作品の流れを俯瞰し全体をディレクションできる力量(時間構成、空間構成、踊りの間と色合い、テクスチャーが醸す意味を自在に調整する役割を担う。当カンパニーの作品では殆ど私が受け持っていた)を持った踊り手が担当する。


○他の身体表現ジャンルと踊り手のコラボの場合
  1. 踊り手には場を俯瞰する目が必要となる。

  2. あくまでもアンサンブルが重要になるので、相手を全肯定したうえで自身の独異性をもった技術で場をディレクションしていく。

  3. アンサンブルの意味を知らないアマチュアとはやらないことが基本となる。それでも心があると想える人に対しては育てるという姿勢で臨む。


○伝統音楽(邦楽)と踊り手のコラボの場合。
  1. 倍音成分が多い和楽器の音は場の空気感に自然に浸透していく性質を持つので、踊り手はピッチだけでなくテクスチャーを意識し体に浸潤させていく。
    不思議なことに和楽器同士のアンサンブルはピッチがズレていても成立してしまえる。これは邦楽(民族芸能も含む)独異な特性であろう。
    例えば三味線の一の糸(一番太い弦)には倍音成分(西洋音楽ではノイズとも解釈される)を意識的に生かすために上駒(弦楽器の0フレットを定位するナットにあたる部分)が無い。


○西洋クラシック音楽(オペラ)と踊り手のコラボの場合。
  1. 作曲作品でも歌手、演奏家の表現する質感の違い(声、音、体)により踊り手は体の質感(奥行き感、滲み感、擦れ感、抜け)と踊りの間を変えていかなくてはならない。
    振付家は西洋音楽メソッドによる楽曲譜面に合わせるだけの振付けで事足りると思ってはならない。飽くまでも環境と共存する人間(=環境内存在)の体と心への配慮が要諦となる。


■応用編
○テレビ会議システムを用いた遠隔2地点ライブ公演の場合。
  1. 2地点それぞれの劇場(例えばNYと東京)には、互いを映すモニターが 劇場内に設置されている。それぞれの劇場には演奏家と踊り手、即興ライブに戦々恐々とする技術スタッフ(どうしたらいいんですか?との彼等の問いに、私は『命懸けで遊べ』との指示を出してみたりする)がいる。
    こうした状況で互いが共有し合う一つのポスト・フリー・コラボ作品を創るには、二劇場(照明、音響、カメラ・アングル、映像エフェクト)とそこに出演する複数の演奏家、踊り手の技量、スタッフの人間性を把握し尽くすことが必須となる。全て、構成、演出家の力量に掛かってくる。
    管理、操作しなければならないパラメーターの数とその組み合わせ数は桁違いに多くなるため初級、中級編の技術を身に付けた者のみが対象となる。

 
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2017/7/17 UPDATE 読みもの・映像・音声
舞踏の表現構造 執筆:友惠しづね
友惠舞踏メソッドによる「ポスト・フリー・コラボ」 執筆:友惠しづね
歩行テキスト批評 執筆:友惠しづね
舞踏、その体と心 友惠舞踏メソッド 執筆:友惠しづね
一本の木の物語 執筆:天乃宇受美
ブルース・ハープ 執筆:加賀谷さなえ
舞踏 執筆:芦川羊子
大船渡市・陸前高田市 災害支援ボランティア (入澤サタ緋呼)
団鬼六永眠 (加賀谷早苗)
舞踏の精髄 執筆:芦川羊子
からだ表現と即興 執筆:友惠しづね
詩の朗読と舞踏のコラボ 執筆:友惠しづね
「友惠舞踏メソッド」、その演出法 執筆:友惠しづね
即興音楽と舞踏 友惠コラボメソッド3 執筆:友惠しづね
みんなで楽しめるコラボ・システム 執筆:友惠しづね
即興音楽と舞踏 友惠コラボメソッド 執筆:友惠しづね
即興音楽と舞踏 友惠コラボメソッド 2 執筆:友惠しづね
風のまなざし 詩:友惠しづね
大野一雄氏100歳をお祝いして 大野慶人氏インタビュー
 
聞き手:土方巽舞踏鑑 代表 カガヤサナエ
「南管オペラ」のアーティスト達 文:友惠しづね
台湾での舞踏講習会 -「江之翠劇場」の皆さんと- 文:友惠しづね
南管オペラ 文:友惠しづね

X JAPAN hide(2005年9月25日hide MUSEUM閉館に寄せて)  文:友惠しづね

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