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舞踏の表現構造
文:友惠しづね

図1は私達の舞踏の舞台表現の構造を表したものです。私が身上とする世界観のラフスケッチを描いた図2とパラレルな関係にあります。

:不二(切り離しては有り得ない)関係

:内容

舞踏の舞台表現の構造

※上の図をクリックすると拡大PDFにリンクします

世界観のラフスケッチ

※上の図をクリックすると拡大PDFにリンクします


図1で「踊る体(あるいは木偶坊)」と「音楽(聴覚情報)」と「舞台環境(視覚情報)」の関係は、西洋流にいうならば三位一体ということになるでしょう、か?否、三者は確かに独立したものとして捉えられますが、それが直裁的に一体という在り方に収斂し切れるものではありません。
この三者は互いに協合し、時には葛藤し合いながらも三者が三者の契機となり、どうしようもなく調和せざるを得ないところから一つの産声を挙げる、鬼気迫りながらも静かな佇まいを醸します。私はこうした生の在り方は思い遣りをモットウとすることで、極めて日本的だと感じています。

舞踏は日本発のアートにも拘らず、日本でも舞台に拘るそれぞれの要素を分断し、それらを組み合わせることで成り立つかのような批評法が採られてきました。例えば、踊り手に施された振付けと演出はそれぞれ独立した作業で成り立つというスタンスから批評されます。
このような全体をエレメントに分解しそれぞれを分析的に行う批評方法は極めて西洋的と云わざるを得ません。これは西洋舞踊(クラシックバレエ、モダンダンス)に対してだけ当て嵌まることではなく、西洋での舞台アート一般について云えることです。
私はよく、日本の季節を表象する一つの美「紅葉」の素晴らしさを表す方法に分析的な視座を用いることの無意味さを例に引きます。紅葉の美しさを視覚、聴覚、嗅覚などを感覚情報としてそれぞれを分析的に捉え、それらのエレメントを総合すれば全体を説明できるというような批評法は詮無い事であることを日本人なら誰でも知っています。紅葉の美は体感も含めて直感的、情緒的に「味わう」ことに意味があります。
私は以前、西洋オペラの公演に舞踏で出演したことがあります。オーケストラ、それぞれのパートを受け持つ歌手の個性に見合うように、あくまで公演全体のハーモニーに馴染み潤わせることに注視し踊り手に振付けを施しました。しかし現地(フランス、アメリカ)の新聞評では、舞台のエレメント、指揮者、オーケストラ、それぞれのパートを担当する歌手が個別に批評されました。その作品のプリマドンナであるソプラノは悪いがアルトは良いというように。そして絶賛されたのは私が担当した舞踏だけでした。私は戸惑いました。と、云いますのは、私は自身の創作人生で一度たりとも自分を目立たせるという発想を持ったことがありませんでした。あくまで全体のアンサンブルを創りだすことを己の規範としていました。この、私達の舞踏を特化したような新聞評は私を戸惑わせ、批評の言葉に一喜一憂する共演者に対して深い罪悪感を感じさせました。作品を上演するという観客とのコミュニケーション手段は、互いの存在を人間としての全感覚を持ってして味わい尽くし合うということに、その目的があるものと、今でも信じています。それを成就するためには言葉では収斂し切れない生きる上での、体を駆使した一見複雑な技術の修練が必要になります。ただ、それらの技術も「味わい」という不可思議で絶対的な法に、その意味は意図も容易く飲み込まれもします。これは「万葉」以来の伝統です。野中に咲く一輪の花、一雫の朝露が醸す居住まい、路傍の石にまで観い出す美に勝てる技術は、悔しいけれど、難しい。何故なら、人が主体となって創り出す技術には何時でも恣意性を伴うからです。
日本人は、そうした、あるいは絶対的と呼べるような美を媒介にしたコミュニケーションの構造、その意味を既存のものとして無意識裡に共有していると想います。

飛んだり跳ねたりという肢体の機能を技術的な意味で極限まで引き出すような動き(爪先立ち、バーレッスンによる股関節の速度を伴う自在な扱い)を必要としない、肢体に目に観えるようなプレッシャーを与えず緩慢な動きを特徴とする舞踏表現では、西洋舞踊の批評法では括り切れない何か(意匠としての白塗りメークや裸はアニミズムを連想させもした。その特質を当の舞踏家側からも言葉により煽るようなプレゼンテーションを行う者もいた)があると想わせながらも、矢張りその批評法を西洋舞踊のそれに依存せざるを得ないというのが実情でした。
一部の舞踏には振付けスコアがあるということをトピックとしながらも、西洋舞踊の批評法では括り切れないはみ出た領域にこそ舞踏アートの根幹に関わるエレメントがあるものとして、その領域を言葉(多分に西洋思想のパラダイムを借りていた)により文学的に脚色し意味付けすることで、舞踏の全貌を表そうとしました。
そのことで実際の体を使う表現と、それを説明する言葉による表現は乖離していきます。といいますのは、元々、体=ライブの表現は言葉の表現とは、コミュニケーションの違いにおける機能上、齟齬を来さざるを得ない関係にあります。
この問題についての詳細は私の「舞踏、その体と心」を参照して下さい。ここでは軽く述べるに停めます。

’60年代、舞踏が一つの身体表現のジャンルとして産声をあげた時には、西洋のアート表現、シュールレアリズムの方法を取り入れたことでスポットが当たりました。敗戦のトラウマから戦後の欧米の政治的、経済的、文化的価値観が偏重され取り入れられていた時代です。
シュールレアリズム運動の提唱者フランス人のアンドレ・ブルトンは、そのアート・コンセプトのスタンスをマルクス主義とフロイトの精神分析学に置きます。しかし共産主義のテーゼもフロイト心理学も既に時代性を帯びた一つの文学的価値しか有していないことは歴史の事実です。それを乗り越えようとする西洋ポスト・モダンも、輸入ものである故に時間差はありますが日本の90年代には既に骨董的価値しかありませんでした。にも拘らず未だに日本の舞踏批評家の多くは、それに固執しようとしています。
彼等が権威をひけらかしているうちは、これから生きる若い批評家は育ちません。そして本来、自在に謳歌されるべき舞踏アート、その実際の体=ライブ表現を著しく制限することになります。
日本発の身体アートでありながら、日本人で一人として世界にその存在を喧伝した批評家がいないという事実は寂しい限りです。
日本人は飛鳥時代より外来の輸入文化を独自に醸造(神仏混淆)する強かな国民性を持っています。明治維新により怒濤のように輸入された欧米文化との齟齬(風土を無視した。西洋の軍隊式にそれまでの日本人の体、その姿勢を矯正する)からの反動で国粋主義(廃仏毀釈)に走り、昭和の敗戦からのトラウマから野方図に輸入した欧米文化を独自に醸成する暇もなくグローバル時代を迎えた今日だからこそ、日本人の個性が改めて問い直されることが急務となります。
確かに日本人の体=プロポーションは摂取する栄養、椅子式による生活形態の変化により見た目上は欧米化しているようにも思われます。しかし、その風土で培われた体の本領はそう容易く変わるものではありません。
グローバル時代、日本文化の個性を自在に発揮するためには、観念では収斂し切れない日本の風土に根ざした日本人の体、その魅力を今一度検証し直すことが必要となります(ただ、この場合、商業主義に走るプレゼンテーションには注意を要します。近年ではその責務を負うべき歴史を担う「伝統」さえも商標登録されているようですが)。
日本文化のノンバーバル・コミュニケーションの現代における価値、その魅力は「味わい」という生存の意義に直接関わりもする美意識に根を張ります。人目に触れない地中に踏ん張りながらも触手を伸ばす無数の根毛たちは、その奥ゆかしさ故に強かに身を隠します。そして花が咲き葉が茂る。叙情というものは常に命が懸かっているものなのでしょう。
日本人の体に潜む感性、その独異性こそグローバル時代に表明すべき個性のように想われます。
そんな日本人の備える特質を大らかに謳歌する一つの手段として、舞踏は大きな産声を挙げ続けます。全ての産まれてきてしまったという人類の、それぞれ一人一人の実情に諾という答えを出すために。

 
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2017/7/17 UPDATE 読みもの・映像・音声
舞踏の表現構造 執筆:友惠しづね
友惠舞踏メソッドによる「ポスト・フリー・コラボ」 執筆:友惠しづね
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舞踏、その体と心 友惠舞踏メソッド 執筆:友惠しづね
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舞踏 執筆:芦川羊子
大船渡市・陸前高田市 災害支援ボランティア (入澤サタ緋呼)
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舞踏の精髄 執筆:芦川羊子
からだ表現と即興 執筆:友惠しづね
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「友惠舞踏メソッド」、その演出法 執筆:友惠しづね
即興音楽と舞踏 友惠コラボメソッド3 執筆:友惠しづね
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即興音楽と舞踏 友惠コラボメソッド 執筆:友惠しづね
即興音楽と舞踏 友惠コラボメソッド 2 執筆:友惠しづね
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大野一雄氏100歳をお祝いして 大野慶人氏インタビュー
 
聞き手:土方巽舞踏鑑 代表 カガヤサナエ
「南管オペラ」のアーティスト達 文:友惠しづね
台湾での舞踏講習会 -「江之翠劇場」の皆さんと- 文:友惠しづね
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X JAPAN hide(2005年9月25日hide MUSEUM閉館に寄せて)  文:友惠しづね

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